私は多くの人に世界のことを教え、世界中の人がお互いに情報を共有することが大切だと考える。なぜなら、それは歴史を繰り返さないように必要なことであるからである。私は1週間程カンボジアで、海外ボランティアをしたことがある。カンボジアは現在、戦後の影響で経済的な発展が遅い。そこで教育が行き届いていない子供達に言語の授業をするというボランティアをした。私が実際にカンボジアに行ってまず思ったことは昔の日本と似ているという点である。インフラもある程度はあるが不完全であり、教育も改善点があるところが日本と似ていると感じた。そこで、私はこのままだとカンボジアは日本と同じ道を辿るのではないかと考えたのである。カンボジアで、現地の先生の教育を見せてもらったことがある。うるさい子供達に注意をするときに、耳を引っ張いたり、背中を叩いたり、大きな声で怒鳴ったりしていた。そこでの教育はまさに昔の日本と同じであった。日本の場合、そのような暴力的な教育が続いた結果、生徒達も暴力的になり学校崩壊する事あった。私はこのままではカンボジアも日本と同じ結末を辿りかねないと考えた。それゆえ、カンボジアの先生達に日本という前例をもって暴力的な教育はよくないということを教え伝えることが大切なのではないかと考えた。また、他にも共有すべき事柄があると感じた。それは、障害を持っている人への配慮である。カンボジアでは目に見えない障害への理解が乏しく、健康な人と同じ扱いをされている。その結果、なぜできないんだなとど怒られたり、差別されたりする。これは単に、カンボジアで障害者への理解の教育がないからではない。このことを教育に組み込むためには、他の人が知識を教える必要がある。それゆえ、他の国がカンボジアの教育不足を知り、知った上で情報を共有する必要がある。そこで私は、私ができる大切なことは、この現状を日本の人々に教えることだと考えた。よって私は多くの人に世界のことを教え、世界中の人がお互いに情報を共有することが大切だと考える。