『死刑制度から考える人権』
私は、持続可能な開発目標(SDGs)の中でも特に目標16「平和と公正をすべての人に」に注目している。それは先日、ある国際人権NGOの職員の方から「死刑制度の廃止」についてご講演をしていただく機会があったからだ。今まで、当たり前のように存在していた死刑制度だが、講演を聞く中ですごく身近に感じられ、私は現在、死刑制度の廃止に賛成である。理由は主に4つある。
まず、世界に視野を広げた際、海外では年々死刑制度を廃止する傾向にあるからだ。それは、人の権利、すなわち人権の保護が注目されるようになり、どんなに重い犯罪を犯した者でも「生きる権利」は守られるべきであるという考えに基づいている。私は、犯罪者は、すぐに死刑が執行されるのではなく、自分の犯した罪がどれほど悪いものなのかを考え、償う機会を与えるべきだと考える。
次に、死刑制度は、犯罪を犯した者だけでなく、その家族や法務大臣、刑務官などをはじめ、沢山の人に負担やストレスがかかるということである。なぜなら、死刑執行を命令するのは法務大臣であり、その命令を受けて死刑を執行するのは刑務官だからだ。また、死刑執行が告げられた犯罪者は、いつ死刑執行されるのかが分からない。死刑は、執行される当日に本人に告げられるため、毎朝を不安と恐怖を抱きながら迎えることになる。私は、この状況は、被害者を増やしているように思う。
3つ目に、無実であるにも関わらず死刑執行が確定される、つまり「冤罪死刑」が存在するということだ。実際、日本では「死刑冤罪の4大事件」をはじめ、計5件の事件が報告されている。袴田事件では、約48年間拘束された後、無罪が確定された。私は、これらの事件を絶対に許すことはできない。なぜなら、そのような人々は、無罪であるにも関わらず、
自白の強要などによって人生のほとんどを拘置所で過ごし、生きる希望を失ってしまうからだ。
最後に、被害者の遺族は、必ずしも、犯罪者の死刑を臨んでいるわけではないということだ。なぜなら、犯罪者の死刑が執行されたからといって、被害者自身が戻ってくるわけではないからだ。むしろ、被害者が増えることになる。私は、死刑制度は、遺族の意志によるものではなく、世論や社会の正義感に押されて運用されていると思うからだ。
私は、死刑制度の廃止を肯定しているが、勿論、犯罪を犯した者は、どんな理由があろうとも許してはならないと確信している。しかし、私は「生きる権利を奪う権利は誰にもない」と訴えたい。どんなに悪い犯罪を犯した者でも、生きる権利は守られる必要がある。私にできることは少ないかもしれない。しかし「死刑制度廃止」をはじめ、私は、人権の保護について、まずはクラスメイトと話し合うことから始めようと思う。当たり前のように毎日を迎え、学校に行き、社会問題について学んでいる私には、それらの問題の解決に向けて真剣に考え、行動を起こす義務がある。私は、この恵まれた環境に感謝し、世界に視野を広げていきたい。
大変満足
コロナ下でもできるボランティア活動を探していた、将来の進路に活かしたい、社会問題に興味がある
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初めは、ホームページの見方などに少し戸惑いましたが、回数を重ねていくに連れ、SDGsにより興味や関心を持ち、自ら調べてみるようになりました。
ぼらぷらでつけた知識を、まずは友達に共有し、今自分にできることは何かを考えていきたい。また、模擬国連部でもこの知識も活かしていこうと思う。
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