[ぼらぷらグローバル小論文]

小論文

『偏見を越えて築く、世界の幸せ』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

 「世界の幸せ」とは何か。それは、誰もが安心して暮らせる環境、未来に希望を持てる社会、そして互いを尊重し合える関係性の中にあるのではないだろうか。しかし私たちは、無意識のうちにその「幸せ」を自国の価値観で定義し、他国や他文化に対して偏った見方をしてしまうことがある。偏見には同じ事柄、事実でも曲解してしまい、多角的視点ができなくなる力を持つ。それによって盲目的な捉え方しかできず、諍いや非効率的な援助しかできない可能性がある。偏見に気づくことにより、国際社会における課題の多様性を理解し、より効果的な協力や支援の在り方を考える手がかりとなる。私はこの夏、カンボジアでの海外ボランティアを通じて、SDGsの17の目標すべてに関わる現場を体験する中で、これまで関心を持っていなかった異なる生活環境の中で生きる人々の現状に強い関心を持つようになった。また、それによって自らの偏見に気づかされた。
 渡航前、私はカンボジアに対して「地雷」「戦争」「危険」といった負のイメージしか持っておらず、自分とは縁遠い国だと考えていた。しかし現地での体験は、私の価値観を根底から揺さぶった。まず、水とトイレの問題に衝撃を受けた。都市部でさえ水道水は飲料に適さず、田舎では雨水を使った簡易トイレが一般的だった。日本では蛇口をひねれば安全な水が出るのが当たり前だが、それがどれほど恵まれたことかを痛感した。SDGsの「安全な水とトイレを世界中に」という目標が、まだ多くの地域で達成されていない現実を目の当たりにした。
 医療や教育の面でも課題は多かった。病院の設備は整っていても医師の数が足りず、地方では教育の機会が限られていた。それでも子どもたちは、複数の言語を学び、将来の仕事に備えていた。夢を描く余地が限られている現状に複雑な思いを抱きつつも、彼らの笑顔には希望が満ちていた。
 私は、カンボジアを「不幸な国」と決めつけていた自分に恥ずかしさを覚えた。現地の人々は互いを信頼し合い、困難な環境の中でも前向きに生きていた。幸せとは、物質的な豊かさだけでなく、人とのつながりや希望を持つ力にあるのだと気づかされた。
 SDGsは、世界が協力してより良い未来を築くための共通目標である。しかし、東南アジア諸国に対する「貧しい」「遅れている」といった固定観念は、現地の実情を正しく理解する妨げとなり、「誰一人取り残さない」という理念に反している。私たちができることは、まず「知ること」「関心を持つこと」「偏見を手放すこと」である。
 遠い国の問題を「自分には関係ない」と切り離すのではなく、「共に未来を築くパートナー」として尊重することが、持続可能な未来への第一歩となる。そして、見たものを「自分ごと」として受け止める勇気を持つことこそが、世界の幸せへの貢献につながるのだと考える。

前へ  |  次へ

一覧に戻る