[ぼらぷらSDGs小論文]

わたしのSDGsアクション

『真の支援とは何か』

小論文

『真の支援とは何か』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

 今回のボランティア活動で経験した、村の小学校での活動や街中での体験が、カンボジアへの支援の在り方について再定義するきっかけとなりました。
 街中では、物売りをする少女に出会いました。シェムリアップの街をトゥクトゥクで走っていた時、本来なら学校で授業を受けているはずの時間帯に、小学校高学年ほどの少女が古びたキーホルダーを観光客に向けて売っていました。翌日パブストリートのナイトマーケットで別の物売りの少女に出会い、二日連続で同じような光景を目の当たりにした私は、その少女が売っていたキーホルダーを善意で購入しました。
 しかし、帰国後にその行為に対して疑問が生じました。旅行者が同情心から商品を買うことは、短期的な助けになるかもしれませんが、継続的な支援にはつながりません。私が得たものは使い道が限定的なキーホルダーであり、少女が得たものは微々たるお金だけでした。むしろ、物売りの子どもが「稼げる」と錯覚し、教育の機会を失う可能性すらあります。これは支援の固定化を招き、サステナブルな支援とは言えないと感じました。
 一方、村の小学校では、私たちが支払った費用が学校の運営や子どもたちの教育機会に充てられていました。子どもたちは無償で学び、私たちはその現状や課題について学ぶという、相互に得るものがある関係性が築かれていました。学校に到着すると、大勢の子どもたちが駆け寄ってきました。村の小学校では休み時間が日本の小学校の三倍も長く、子どもたちの天真爛漫な様子や授業を真面目に受けている様子は印象的でした。私は子どもたちとの交流を通して、言語の壁を越えた異文化交流を経験しました。言葉では説明できない愛情や信頼が形成されていきました。私たちが子どもたちに新しい経験をもたらすと同時に、子どもたちもまた、私たちに異なる文化や価値観を教えてくれていました。この過程で、私たちは互いに学び、互いに成長していたのです。
 今後、同じような状況に出会ったとき、刹那的な支援ではなく、子どもの将来的な生活環境に寄与するような支援の在り方を考えたいと強く思いました。正に、今回体験した村の小学校の支援の在り方が代表例です。そして、支援する側が現地の文化や価値観を尊重し、共に課題を解決していく姿勢が、本当の意味での国際協力につながると考えています。
 今回の経験を通じて、私は「支援とは何か」について自分なりの答えを見つけることができました。それは、ただ与えるのではなく、共に考え、共に歩むことです。私が再定義する支援は、相互性のある支援です。一方的な善意や施しではなく、支援する側も学び、支援される側も成長する関係性を築くことであり、共に考え、共に歩む姿勢を持つことで、一方的な支援から脱却できると考えています。相互理解と協働の中で築かれる支援こそが、意味のあるものだと感じました。
 今後もこの気づきを大切にしながら、より良い支援の在り方を模索し、持続可能な活動を築いていきたいと思います。

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