『あらゆる人に寛容な社会を求めて』
私が「寛容さ」について考えるようになったきっかけは、今年3月フィリピンへ短期の語学留学したときの出来事である。フィリピンは人口の約8割がカトリック教徒で、厳格な教義があるとされる。しかし、私は語学学校の若い先生が、ごく自然に自らをトランスジェンダーだと公言したことに衝撃を受けた。一つは、日本では隠されがちな性的指向をなぜこれほどオープンに語れるのかという驚き。もう一つは、厳格なカトリックの教義と現実の間にある「矛盾」への疑問である。
帰国後もその疑問が頭を離れず、調べていくうちにフィリピン社会の文化的背景を知ることができた。フィリピンには、古くから「第三の性」を認める文化があり、「バクラ」や「パパイラン」といった存在が社会に受け入れられていた。つまり、性に対する柔軟な価値観がカトリック以前から根付いていたのである。さらに、フィリピンでは宗教的教義よりも「家族や人間関係を大切にする」という価値観が優先される。ルールや規範を重んじる日本の文化とは異なる、人間味あふれる社会のあり方を私は感じ取った。寛容さとは一つの物差しで測れるものではなく、その社会の歴史や風土の中で育まれていく多様な形があると気づかされた。
一方、現代社会では、寛容さとは逆行する動きも目立つ。インターネット上の匿名性に隠れた誹謗中傷や異なる意見を排除する行為、また、自国第一主義を掲げる国のリーダーによる他文化への排他的態度などである。
今、私たちは「寛容」とは何かを問い直すべきである。それは他者の考えを知ろうとする姿勢と対話を通じた相互理解を目指す営みであろう。
その視点で、いくつかの課題を検討したい。第一にジェンダーの多様性についてである。日本でもLGBTQ+への認知は広まりつつあるが、トランスジェンダーの人々には依然として厳しい現実がある。すべての人が「自分らしく生きる」ためには、多様な性のあり方について「正しく知る」ことであろう。知ることが無理解や偏見をなくし、寛容な社会の土台を築く。
次に、多文化共生の問題がある。私の地域には、外国人技能実習生として来日している若者が多く暮らしている。彼らは慣れない日本という環境や文化の中で孤立しているようすを見る。これは、私たちが彼らを「同じ社会の仲間」として認識しきれていないからかもしれない。互いの文化を尊重し合いながら共に生きる姿勢が求められる。
また、街中で見かける車いす利用者が困っている場面を見るが、これは、社会的障壁という社会的な問題である。困難を個人の問題とせず、環境の側の問題としてとらえ直すことで真に寛容な社会に近づくことができる。
さらに、宗教も寛容を考えるうえで重要な視点である。宗教は人の心の支えである一方、時に人権を抑圧する力にもなりうる。他宗教や文化を理解し対話を深めることが、平和で寛容な社会づくりには不可である。
「自分の考えだけが正しい」と信じ込まず、「違う考えをもつ人がいる」ことを受け入れる知性こそ、寛容な社会の鍵である。そして、それは一人ひとりの「知ろうとする姿勢」から始まる。情報を受け取るだけでなく、自ら学び、考え、発信する力が、社会を変えていく第一歩となる。
違いを否定するのではなく、互いに認め合い、学び合う社会の構築が必要だ。「違いを知り、理解し、共に生きようとする心」を持ち続けることで、未来は必ず変わっていく。私は今後も、多様な立場の人々と出会い、学び合いながら、「あらゆる人に寛容な社会」を築く一員として行動していきたい。小さな行動が、やがて大きな変化を生むと言じて。
大変満足
SDGsについて学びたい、将来の進路に活かしたい、社会問題に興味がある
一生モノの学びになった!
すごく良かった!
視野が広がった!
勉強になった!
いい経験になった!
今年受験生で海外に行けないのでオンラインのボランティアはいい機会だと思ったから。
SDGsのことは知っていたけどあまり深掘りしてこなかったので、オンラインでカンボジアの子供達に日本語を教えたり、自分で調べて資料を作ったりなどの今回の経験はとてもいいものになった。今後の将来に活かしたい。
この経験により培ったことをみんなに広めてSDGsについて知ってほしい。知ることによって意識を変え、より良い世界になることに繋げたい。
自分の視野を広げるチャンスです!