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体験談グランプリ

フィリピン スタディツアー AE-2015.3.31への海外ボランティア

フィリピンでの体験を通じて

  • 評価4つ星評価 ニコニコマーク勉強になった
  • 2015年3月参加
紹介割コードin11899fb08

ボランティアとは新しい選択肢を与えることができるとても意味のある行動です!

参加前の気持ち

自分にできるかな

参加後の気持ち

勉強になった

プログラムに参加した理由を教えてください

1人で旅行に行くのが好きなのですが、去年の夏初めて発展途上国と呼ばれるタイに行った際に格差社会を目の当たりにしました。子連れのホームレスもたくさんいたのですが、結局私はその人達に何をしていいか分からずただ前を通り過ぎて行く人達と同じでした。その時に私は、なにかしたかったのにできなかったジレンマを抱えて帰国しました。このプログラムを見つけたのは本当に偶然なのですが、このスタディーツアーでタイの時に自分の感じたなにかを探し出せたらいいと思っています。

プログラムに参加した感想は?

現地にいるフィリピンの子供たちは施しを受けることに慣れていた。みんながみんなお菓子をあげると嬉しい顔をするわけではなかった。そもそも、フィリピンの宗教がキリスト教ということもあり、キリスト教は基本的に隣人を救うというのが教えであるので当たり前の行為だったのかもしれない。食べ物をあげる行為は果たして現地の人たちのためになっているのかどうか疑問が湧いてくることが多々あった。現地の人たちは私たちが食べ物をあげたり、衣服をあげたりするから特に働かなくても毎日生きていけると思い込んでしまうのではないか。そういうことが幼少時代からあり大人になっても結局誰かが助けてくれて必要最低限な生活を送れるなら、今の生活を抜ける必要性を感じなくなってしまう恐れがあった。だから、私たちが行っている行為は自分たちの満足感や優越感を得るために貧困者を利用しているエゴに過ぎないのではないかと感じた。それに子供たちと遊んでいるとどちらかというと私たちの精神のほうが救われた気がした。彼らのほうが日々生活するのに困っているはずなのに楽しそうにしていた。彼らの現状を物語るのは陰鬱な空気感ではなく、彼らの着ている黒ずんだ服、鼻をつくような体臭、ふけだらけの髪の毛といった外見だけであった。
去年の夏にタイを訪れた際に、物乞いをしている子供にどうしてこういうことをしているのか尋ねたところ、「僕は毎日生きるために食べ物を探している。それ以外の世界を知らない」と答えが返ってきた。また、夜になると路上には数えきれないほどの売春婦が立っている。その中の一人の少女に同じ質問を投げかけた。彼女は言った。「私の母が同じように体を売って生活していた。だから私もそれと同じことをしているだけ」
日本にいる私たちにはたくさんの選択肢がある。ほしいものを買いたい。食べたいものを食べたい。どこかに行きたい。大学に行きたい。ボランティアがしたい。など、数えたらきりがない。しかし、路上で生活している者たちは毎日生きることに必死で選択肢は両手で数えられるくらいしかないのではないだろうか。
私はこの6日間のボランティアを通じて、ボランティアの意味を自分なりに考えてみた。ボランティアというものは上記にも記載した通り私たちのエゴを満たすものなのかもしれないが、こういった選択肢が少ない人たちに対して新しい選択肢を与えることができるアクションなのではないかと感じた。ごはんを与えることによってその日の空腹を満たすことができて、食べ物を探す時間をほかのことに費やすことができる。言葉を教えてあげれば、職に就けることもできるかもしれない。そして、私たちのような人種の違う人たちと出会ったことによって何か新しいことに興味を持ち目標をもつかもしれない。
私たちが行ってきた行為を正当化するわけではないが彼らに何かを与えたはずだし、私たちも何かを与えられた。
そんな6日間でした。

今後、今回の経験をどのように活かしていきたいですか?

発展途上国の現実を肌で感じることができたので、今後もこういった活動を続けていくとともに日々の生活においても自分にできることを模索していきたいと思いました。発展途上国の医療に携わりたいという気持ちが更にこの6日間を通じて強くなったと思います。

ぼらぷらのプログラムでもう一度参加したいですか?

いいえ

理由

これから参加される方へアドバイスお願いします!

現地に行かなければ感じることができないことがきっとあるはずです