2011年9月19日 1:49 PM
【滞在期間】2011-09-01 ~ 2011-09-14 【総評】満足 【プロフィール】女性
(1)参加動機
大学1年生の時にある授業でOBの方が海外ボランティアの話をしてくれたことがきっかけで、大学在学中に海外ボランティアに参加したいと思っていました。 そして今回日本で大きな地震があり、国や国民の協力で震災前と同じようにはいかないにしろ、日常生活を送れるようになっています。しかし教科書で習った貧 困区ではずっと昔から同じところが教科書に挙げられているのに、なぜ改善できないのか、実際今日の状況を自分の目でちゃんと見たいということもあり、この ボランティアに参加しました。
(2)参加した感想
まず参加して思ったことは、自分の無力さです。そして、私がどれほど恵まれた環境で、どれだけの愛情を注いでもらって、どれだけ幸せな人間かがわかりました。私は海外ボランティアに行ったこともなければ、海外旅行にも行ったことがありません。
なので、どれほど海外が危ないかもわかっておらず、今回訪れたフィリピン(スラム)がどれほど危険なのか最初の頃は分かっていなかったと思います。だから、たくさん怒られましたし、子どもたちにも迷惑をかけました。(子どもに私がボランティアされている状況・・・)
慣れていくにつれて、徐々にどういう風に危険(人間)で、また自分が怪我をすることがどれ程危険(環境)かもわかりました。この環境の中で生活をしている 子どもはそれが普通のことで、何が幸せで何が不幸かと自分の物差しで測るのは本当にバカなことだと思いました。マスターが「スモーキーマウンテンの子どもがか わいそう?孤児院の子どもがかわいそう?可哀想じゃない!」(大分省略しましたが)と言っていましたが、孤児院の子は私も3食ご飯も食べれて、寝床もあっ て、他の子どもに比べたらって思いました。でもスモーキーマウンテンの子どもはかわいそうと思ってしまってました。実際はそうじゃなく、私が見ていたあのごみ の山はお金になるものがたくさんあって、むしろそこに行けば仕事があって、ごみの山のふもとにはそこでの生活があって、布団を作っていたり、学校帰りの子 供もいて遊んでいる子ども、仕事をちゃんとしている大人や若者の姿がありました。宿泊させていただいたところやフィーディングのところとは大きな差があると 思いました。そこで多くの発見があって、知って、本当に何も知らなかったんだなとつくづく思いました。
また、「他人にボランティアする前に親にボランティアしろ」と言われた時本当に「ほんまやわ」と思いました。私の母は小学校の時から難病で最初は医者にい つ死んでもおかしくない(突発的、発作的にという意味で)と言われてもう十数年たって、病気の母が私たちにとっては普通のことで、家族の中でも受け入れら れて、それが私たちの普通で、でもそれに自分が慣れてしまっていることに気づかなかったことにきづいて、気づいたときは今すぐにでも早く帰りたいと思って しまいましたし、自分に情けなく思ったし、でも遅くなったけど本当に今きづけてよかったと思いました。大学の費用は自分ですべて払っていますが、実家から 通っているので、食費だって光熱費だって親に出してもらって、年収利益が今年は100万ちょいしかなかったり苦しい時期なのに、自分で払うなら海外ボラン ティアに行っても別にいいっていってくれて、どれほど自分が親に甘えていたかわかりました。
また、私は受け身の多い人間で、誰か指す人がいなくなったら自分でなんとかするけど、いたら頼ってしまったりしてしまう、自分に甘い人間だと思いました。 もっとマスターがいったように頭で考えてとろとろ動くんじゃなくて、感じて動くということがなかなかできなかったことが、今回参加した反省点だと思いま す。誰かが指してくれるんじゃなくて、その前に察して動けるようにしないといけない。それにアデノシン三リン酸(ATP)だって、言ったら「大学でこれを ならって知ってたかって役に立たない」と皆の言われてしまいそうで、よく授業で話聞いてなかったりしたときに使う便利な言葉「覚えてないです、わかりませ ん」を思わず言っていたり。そういった小さいことも、はっきり言ったり、もっとミーティングだって自分自身の意見を恥ずかしがらず言うべきだったなと後悔 しています。自分が物凄い小さい頭してるなあと思ってしまいます。
帰ってからの後悔はたくさんあって、きっとこれを読んでいるだけで欝な気分になるかもしれないのでよかったことを今から言います。まず、マスターの意見に はじめは賛同できないところがぽつぽつあって、「何でそんな考えなん!?」と少し否定気味のスタートでした。さすがにカチンとくることや傷つくこともあっ て言い返したいと思ったけど、次第に何年も住んで経験を積んで出た答えをたった2週間のボランティアでしかも今まで海外ボランティアしたこともない、数日 しかたってない私が言う資格はないと思いました。むしろ、(言い方はあれですが)ベテランの意見を自分がそれを吸収して考えて自分で答えを出していかなアカンと思いました。正直いうと全部を全部理解できて賛同できたかっていうとウソになるし、すべて自分のモノにちゃんとできてるともいえません。経験のない私にとって、ボランティアは何かから考えなければいけなく、それ自体とも答えを出すのには難しすぎて、この2週間はあまりにも短すぎて、もっといたらもっ とマスターの意見をたくさん吸収できてもっと良かったと思います。(私がとろいからかもしれません)何度も言われたことなのにできていなくて、怒られて、 「ほんまやん、いわれてたやん!!ああ、最悪やあ」とめっちゃ悔しい思いもしました。(実はしてたんです、特にオカマの時とか)
フィーデングも最終日いろいろなところで、させてもらいましたが、どこも結局パンが足らず、もっとあげられれば、まだまだ後ろには子どもが並んでいるのに何 も渡してあげられない無力感と、たくさんのパンを配ってあげられたという自己満足と2つありました。そして、途中で大人がお酒を飲みながら自分も頂戴と冗 談でも(平日ビリヤードみたいなのをしている大人が!)それを言うのかと、こんなにほしがっている子がいるのにと、腹が立ったり。それでも、だだをこねる 子どもなんていないし、だからこそもっとあげたいと思ってしまいました。そして食べている子はすごくそのぱん1つをおいしそうに食べていて、おいしい?って 思わず聞いちゃいたくなりました。
こういったことをさせていただいて、自分がボランティアをしたというよりマスターに、子どもたちに、させてもらった状態でした。でも、本当にいい経験をさせ てもらって、本当にスラムの生活を子どもを現実を人を多くを見せてもらえたことにホントに感謝しています。もっと自分で自立して、自分のケツは自分で拭い て、親の面倒をどんと見れるくらいになって、経験ももっと積んで、またボランティアに参加します。
(3)今後、この経験をどのように活かしたいか
今回の経験で、ボランティアがどれほど難しいか知りました。そして、どういうものかも・・・
あまりにも、自分が安易な考えでボランティアをしていたかがわかりました。もっと、自分の今の環境をちゃんと見て、もっと自立して大学でしかり学んで、自 立して、親に心配かけずむしろ心配できるくらい大きくなって、そのために今回の経験を忘れることなく、一歩ずつ前に進んでボランティアをできるようになっ たときに、ボオランティアに参加します。