「百聞は一見に如かず」という言葉があります。では「百聞」に意味はないかというと、そんなことはありません。聞いたことがある、耳にしたことがあるという経験は、次にその場面に出くわしたときの反応を左右します。問題なのは、「知らないこと」「聞いたことがないこと」です。今や、SDGsは世の中にありふれた情報となりつつあり、テレビCMでも雑誌の広告でも、街中のポスターなどでも、多くの場面で目にするようになってきました。私は、これが危険だと考えています。なぜなら、これによってSDGsの考え方や運動が普及しているという錯覚に陥ってしまうからです。特に、日本においてはSDGsが自分事になりにくく、真剣に考える機会はほとんどありません。そのため、世の中にSDGsの情報があふれかえることで「どこかの誰かが今日も頑張っているな」と、さらに他人事にとになってしまうのです。それを何とかするために、私ができることはSDGsのゴール到達はまだまだ遠いことであり、現状において苦しんでいる人たちの生活は改善の余地がたくさんあるということを訴え続けることです。
私は、幸いにして教員という立場にあり、子ども達にメッセージを伝えることができます。そして、その責任がどれほど重いものなのかということも承知しています。その私が伝えることをやめてしまったら、子どもたちが開発途上国の現状について耳にする機会が一生ないかもしれません。これは大袈裟なことではなく、それくらい多くの日本人は恵まれた立場に置かれており、弱者に対して気持ちを向ける機会を持つことが難しくなっています。そのため、日本の中にいる弱者の存在にも気づきにくくなっているのです。皆、自分が置かれている環境が他の人にとっても当たり前のように錯覚してしまうのです。だからこそ、私は今日も授業内外の可能な範囲内において、世界の現状について発信していきたいと考えています。