新型コロナウイルスが流行してから約4年、様々なことが制限れていた生活も今では回復してきており、多くの人がコロナに慣れてきただろう。しかし、これは新型コロナウイルスっが去ったのではない。私達が新型コロナウイルスに慣れ、感染に対する不安が減ったのだと思う。私はコロナと共存をしながら、コロナ禍以前の生活充実度を超える生活を遅れるように日々
心がけている。
コロナの流行に伴って出された約3ヶ月の休校、その休校によって多くの学生は貴重な時間を我慢せざるを得なかった。また、学校が再開してからも人数を制限した授業や、オンライン授業が行われ、思い描いていた生活をできた人は少ないだろう。私も、学校で友だちとの雑談や遊びをするのが好きだったが、友だちと近くで直接話すことすら叶わなかった。マスクの着用を義務付けられたことによって顔がよく見えなくなったり、給食の黙食を強制されて、以前までとは真逆の学校生活を送ることはとても心苦しかった。私はこの経験から、学校は学業に励むだけのところではなくて、心を豊かにする場所でもあることを身をもって実感した。休憩時間での友だちとの談笑や、授業内でのグループワークによる意見の交換など、人との交流によって得るものは大きい。これは形を持たないため、普段では気付きづらいものである。しかし、コロナ禍という状況下で会話が大切なものであると認識する人は多くいただろう。今でも余儀なく中止となった体育祭ができなくて悔しい思いはある。しかし、過去ばかりを見ていても何にもならない。だから私は、せめてあの時の悔しさを忘れてしまうくらい今を楽しみたいと思う。
コロナは誰のせいでもない。だから、意味のなさない事を考えて恨むより、私はこれから先の未来を精一杯楽しみたい。