[ぼらぷらエッセイ]

『新型コロナウイルスは私の当たり前の日常を・・・』

新型コロナウイルスは私の当たり前の日常を奪った。だが、ここで悲観的になっていては何も起きない。私たちは、特に充実した生活を送れている日本人の多くは、今までの当たり前の日常がどれだけ素晴らしい、恵まれているものだったかに気づく機会にすべきである。疫病は国境を超えて無条件に蔓延していく。お金で簡単に解決できる問題ではなければ、インフラの整備が整っていれば抑えられる問題でもない。そのため、世界全体が未知なウイルスに向き合い、共通な課題をもつこととなり、一人ひとりが自分ゴトとして意識できるのである。それが最終的には、発展途上国の抱えている問題を、世界全体の課題として認識できるようにするための第一歩になると考えている。私は、薬を開発できる能力はないし、経済回復を目指した新たなビジネスを考える能力もないが、この当たり前が奪われた経験をもとに、自分ゴトにできていなかったSDGsの課題に向き合うことはできる。「もし自分が」きれいな水が飲めない、学習を十分にできない環境にいたらと立場を置き換えれば、自然と今の生活も変わっていく。使わない電機は消しておく、シャワーは早く済ませる、エコバッグを利用するなど、具体的な取り組みを行ってみようと思うことができるのである。たしかに、これらは小さな取り組みかもしれないが、ここから始めるしか方法はない。小さな心がけが集まれば大きなものになるため、特定の誰かではなく、みんなでやることが大切なのである。今、われわれにできることは、いろんな服が着られること、暖かい家があること、三食食べられることなど当たり前にある日常に感謝し、その日常をいろんな国と共有するために、普段の生活に一つでも「無駄を省く」ためのアクションを取ることである。

※新型コロナウイルスの情報は流動的ですので、このエッセイを書かれた当時の個人の意見として捉えていただくようお願いいたします。