[ぼらぷらSDGs小論文]

紹介割コードin66151e4c7
わたしのSDGsアクション

『SDGs目標4についての学びを通して』

小論文

『SDGs目標4についての学びを通して』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

 この小論文では、特にSDGsの目標4に掲げられる「質の高い教育をみんなに」について私が学んだこと、またその中で感じたことを述べていきたい。
 SDGsについてまだ理解が浅かった私は、自国の日本の教育の現状ですら、しっかりと認識できておらず、質の高い教育といったワードを耳にしたとき保護者の資金力の差に帰着される問題であろう。と感じていた。
 しかし、この目標達成への道筋は単純なものではないのだという考え方がSDGsを学ぶ中で構築された。というのも、国によっては、学校が近くにない地域が存在する。他にも、学校を創ろうと思っても先生がいない地域もある。また、戦争などの理由で勉学に励むことが許されない状況すら存在している。こういった状況はぼんやりとメディアを通して知ってはいたが、改めてデータや現地の画像・映像を通してこの事実を知り、私は愕然とした。それと同時に私は“教育を受ける”という点でなんと恵まれた環境にいるのだろうとも思った。
 そうした事実認識から、初めにあげた家庭環境のみに対する問題意識は変えていく必要があると感じた。
 次に私は、そういった状況の中でSDGs達成に向けて具体的にどのような措置がとられているのかを調べ始めた。その過程で、カンボジアでの教育ボランティアを行う団体の存在を知り、私はオンラインでカンボジアの子供たちに日本語教育を行う運びとなった。これを行うことが出来たのは数回であったが、自分の中でとても大きな経験と感じられたことを今も記憶している。何より、他国の“学校”というものを間接的にではあるが垣間見ることができたことが大きかった。これにより、自身が日本で培った「当たり前」を疑う姿勢を身に着けることが出来たのだ。
 この考え方を基に、私はまず自国の教育について学びを深める決意をした。すると、今までは自分の中の「当たり前」というフィルターで隠されていた問題点が浮かび上がってきた。というのも、日本で教育について考える際には、学校に行くことを前提に話が進められるが、不登校問題は深刻な問題であり、もっと前提(当たり前)の部分を考え直さなければならないことに気づかされた。こういった事例は少なくなかった。
 さらに、一見教育の機会均等が叫ばれている日本では、他国と比べて(学校教育以前、または学校教育後の)教育に対する問題意識が低いのではないかとすら感じた。
ここまで、自身の「質の高い教育」についての学びの内容を述べてきた。海外では、学校が近くにないだとか、日本は教育に対する問題意識が低いのではないかとか、様々述べてきたが、最終的に私がSDGsという考え方から学んだことは以下のようなことだ。
 日本ではこうだから…だとか、自分の家ではこうだから…という自分の中での「当たり前」を見直し、限りなく少ないフィルターで物事を見ていく必要があると感じた。この考え方は目標4に限らず、あらゆる目標を達成するうえで必要になってくるのではないかと思う。こういった考え方を得るには、自分と異なる環境にある人々の現状を知る必要があると感じる。そのため、これからも学びを止めることなく、精進していきたいと強く思う。そして、多くの人とその学びを共有し、一人でも多くの人々と協力して目標に向かっていけるよう努力していきたい。

前へ  |  次へ

一覧に戻る