『思考のベクトルを変えろ』
高校生でSDGsとはなにか説明できる人はごく少人数であろう。なぜなら私の学校で最近SDGsについての授業が家庭科で始まった。その際にアンケートをしていると聞こえてきた声が「世界で何個かの目標を立てていつか達成すればいいんでしょ、そんなんできなくね?」これが現状である。また私も今回のプログラムに参加するまでよくわかっていなかった。
SDGsは最近よくテレビやネットで耳にすることや目に付くことが多くなった。とりあえず言葉を知ってもらうということだけでは私は2030年までに達成はできないと思う。なぜなら住んでいる私たちからこの世界のことを第一に考え、また大切に思い行動することが達成することの近道ではないのかと考える。この17の目標の中、日本は3つ達成しているのである。また、日本は達成度を数値化したランキングがあるが日本は79.8点で18位に当たる。2016から2021間で最高得点が80点であった記録があるのである。なぜ落ちてしまったのか、なぜ維持できることができなかったのか。それはやはり人々の認識度の低さ、日本のための行動力が少なかったからではないのかと私は思う。だが視野を広くし、世界基準で考えると日本にできていることが達成できていない国がある。私は次のように思う。「国際交流をより頻繁にすることで日本と世界がつながる。」したがって達成できている国とできていない国とでの情報交換ができるためお互いに有益な情報が手に入れることができるのではないかと考える。
もう一度日本に焦点を合わせて考えると多くの解決していないSDGsの問題がある。そのなかでも達成度の赤の表示になっている(主な課題が残っている)ものが13番、14番、15番の3つある。これらはどれも環境に関することであるが主に13番について私は問題視する。ぼらぷらで私はカンボジアとの交流を行った。カンボジアは夏がとても暑くなるため日陰を作るために学校の取り組みとして木を積極的に植えている。実際学校を見たときに、庭や学校の周りには木が多い印象があった。たとえ人間のために植えているとしていても木を植える活動は地球のためにも国のためにも大切だと私は思うのである。だが日本はどうであろうか。暑すぎて本当に死んでしまうといった生死にまで影響がなければ木を植えないのであろうか。日本、地球の未来を想像できないのであろうか。環境は地球を自分に変換して考えることが一番単純明快である。二酸化炭素の排出が多くなり温暖化が進むことがわかっているのにも関わらず、木の伐採は今日も続いているのである。もし地球が自分だったら?想像しただけで死んでしまいそう、疲れてしまう、そんなイメージになるだろう。だがそれが今ある。そしてこれから深刻化してしまうかもしれないというのにも関わらずのうのうと生きていていいのであろうか。私は決して「暇なら木を植えろ」ということではなく、地球に対してどれだけの人が未来のことを考えているのかということを懸念しているのである。
事が起きてしまってから考えるのでは遅いのである。誰かがやってくれるという考えだとSDGsといった問題は今起きていないはずである。SDGs一つ一つに目を向けるためにもまずは大きく環境ということについて自分事のように考えるべきなのではないのであろうか。