『個人が活動しないと不平等は解消されない』
近年,各国家間,また,その国内での貧富の差が問題視されたり,性別,人種,障害の有無などに関わらず同等な生活を営めるようにしようとする動きが活発化したりするなど,不平等を是正しようとする気運が高まってきているように思われる。しかし,現在不利な立場に置かれている人々は一般にマイノリティであり,そうである以上弱者は目を背けられがちなのも無理はない。この問題に対して,国や企業の支援では補填できない部分が多いため,SDGsの10番目の目標「人や国の不平等をなくそう」を目指すには各々が相互に扶助し合わなければならないと私は考える。
社会的弱者に対する国や企業の取り組みとして,例えば法や制度の整備,障害者割引を実施するなどし格差を埋める努力がなされている。ところが,法や制度が整備されつつある今もなお社会的弱者に対する偏見まじりの見方は消えていないし,JRを含めた多くの公共交通機関では精神障害者に対する割引がなされていないなどそれらの取り組みは十分なものとは言い難い。精神障害者のことに関して言えば,社会的な分類に加わったのが90年代と最近のことで割引が実施されていないようであり,決して精神障害者に対する割引などによる扶助が不必要だからといった事情ではない。加えて,たとえ国や企業が必死に働きかけ社会的弱者の社会的,経済的課題が解決されたとしても,一部の教養や道徳心に欠けた人々による冷ややかな視線が消え去ることはないだろう。また,国内での性別や人種などによる不平等の解消はまだしも,国と国との間,即ちの不平等の解消は困難を極める。日本は世界的に高い水準にある国で,その中でも貧富の差はあれどひもじい思いをしているような状態の層は少数である。少数だからといって看過して良い問題ではないが,視野を国内という単位から世界という単位に広げれば,ライフラインさえ整備されておらず生活さえままならないという国が多数存在するというのもまた事実である。前述の通り,このような国際的格差を埋めるのは極めて難しいだろう。したがって,個人でも少しずつできる取り組みとして寄付,募金活動,フェアトレード商品の購入,異文化理解などに取り組んでいく必要があると考えるし,私も積極的に取り組みたいと思う。
不利な立場に置かれている人々は,どうしても自分たちだけでは問題を解決することが難しく不安を募らせていることだろう。その不安を少しでも解消できるよう,政府だけでなく個人も些細な取り組みから始めることが不平等をなくすことの第一歩であると考える。