『日常の価値』
朝、起きて朝食を取り家を出る。学校へ通い、友達と遊びそして先生に勉強を教わる。家に帰ったら温かいご飯を食べて明日を待つ。これを当たり前として私達は毎日を過ごしている。だが世界に目を向けて見ると、どうであろうか。私は以下の3つの視点から自分自身と世界の向き合い方について考察をする。
1つ目は「十分な食事をとることができない」ことである。私達日本人は、好きな時に好きなだけ食事とることが出来る。また、放課後に友達とスイーツを食べにお店へ行ったり、勉強をする為にカフェで軽食をとったりする人は多くいるだろう。それはお金があるからできることである。貧困とされている国の人々は1日200円での生活を余儀なくされている。それだけでは最低限の生活でさえ、送ることが難しいと感じる。
2つ目は「教育環境」である。世界中で将来の夢を持つ人はどのくらいいるのだろうか。「学校の先生になりたい」「お医者さんになりたい」と様々な夢があると思う。私達日本では夢を実現、理想を現実にできる環境にある。例えば学校の英語の先生になりたいなら、英語の勉強をする。さらに深く学びたいのなら塾へ通ったり自学習をする為に図書館へ行ったりすることができる。しかし、世界に目を向けると性別や経済力、地域や年齢によって質の良い教育を受けることの出来ない人は多く存在する。私達は与えられている環境、つまり夢を叶えるために努力をすることが出来る環境にあると思う。
3つ目は「健康な生活を送ることができない」ことである。本来なら防ぐことのできる病気で亡くなってしまう子供たちが多くいる。日本には様々な医療制度が整っている。それは国民が医療制度を受けやすくするためである。自分の家族や友達を病気で失ってしまう悲しみは、貧困とされる国にとって私たちが住んでいる日本の何倍の数の人々が味わっているだろう。「お金があれば」「治療を受けることができれば」どれほどの人々がこのように思っているだろうか。
これらの視点から、日本と世界の違いが明確であることがわかる。私達は当たり前にある日常を当たり前に過ごしている。だが世界に目を向けたら私達の過ごしている日常は当たり前ではない。手を洗うための水でさえ、どれだけの価値が世界にはあるのか。毎日一緒に笑いあってる家族や友達がいる環境はどれだけ恵まれているのか。まずは私達の「当たり前」という概念から考えていかなければならないと思う。