『世界で生きる私』
私は新型コロナウイルスの流行や戦争が起きる世界に存在している。歴史の転換地に立っているからこそできること、しなければならないことが二つある。
一つ目は、新型コロナウイルスだけでなく紛争や自然災害によって苦しみを受けている人がいることを忘れずに、己の日常生活に感謝しながら過ごすこと。SDGsの学習を通して、学校に行って友達と笑い合ったり、勉強したり、美味しいご飯を食べたり、いつもしていることは決して当たり前ではない。世界中の人が平等な生活を送るべきである。しかし、幸福が生活の豊かさと比例するわけではない。SDSNが発表する、World Happiness Reportが示すのは、経済的な幸せではない。「自分の生活に満足しているか」だ。このように、生活が豊かでも幸福で満ちている訳では無い。己の生活の一日一日を大切に過ごし、他者を思いやることで己のだけを満たすことを避ける。豊かさを追い求めるのではなく、幸福を追い求めていくべきである。
二つ目は、己だけでなく多くの人と共有し、考えを深めること。己だけで完結するのではなく、多くの人に問題の現状を知ってもらうべきである。「三人寄れば文殊の知恵」という言葉がある通り、協力することでさらに画期的な方法や知恵が出てくる。違った考えを持つ人と協力するには、ソクラテスが無知の知を唱えたように、私たちは知らないことを自覚し他者と補っていくことを認めるべきである。柔軟な思考を持つことが次に繋げていける一歩なのだ。また、柔軟な思考を持ち、他者と協力するには、生まれた国や人種、性別によって差別する風潮をなくし、個人それぞれのアイデンティティを大事にし、受け入れ合う社会が必要だ。ソクラテスのように、人間は無知のヴェールをつけていると考えるべきである。己がどのような立場にいるか分からないため、他者の立場を認め、全ての人が自尊心を持てる社会になるのではないだろうか。人々が無知のヴェールをつけるには、教育を受ける必要がある。質の高い教育を平等に受ける権利を世界の子供たちは持っている。また、子供たちに教育を受けさせる義務を世界中の大人たちは持っている。私たちが未来に繋がるような世界にするにはこの義務を全うしなければならない。今を大切にすると共に次世代に繋げることを視野に入れるべきではないだろうか。
住地、食料の不足や勉強する機会がない子供たち、子供の労働などの問題に対して直接的な解決になっていないが、高校生である私にとって何ができるのか、考えたことがこの二つである。生まれた場所が違うからと片付けるのではなく、平穏な生活を送れる自分だからこそできることを全うする。カンボジアに行き、知っていても力になれない無力さに直面した。自分の出来ることやしなければならないことを常に考え、世界に生きる己と向き合っていくべきである。
満足
コロナ下でもできるボランティア活動を探していた、将来の進路に活かしたい、社会問題に興味がある
視野が広がった!
勉強になった!
いい経験になった!
SDGsを自分ゴトとして捉えられるようになった!
少しでも広い世界を見てみたいと思ったからです。この活動を通して、自分の未来と向き合いたいです。
SDGsアクションを通して、より身近なものになり、今できること、将来したいことについて考えることが出来たと思う。また、現状を知り、日々の毎日に感謝をすることなど自分の生活する上での意識も変わったと思う。
将来の夢が看護師なため、SDGsについての知識や認識を活かし、十分な医療を受けれていない人のために働きたいと思った。
勇気をだして参加して良かったと思いました!