『「知ること」』
カンボジアでの小学校での授業ボランティアを通して、私は教育に興味が湧いた。そこで今回はSDGsの17の目標のうち、4番の「質の高い教育をみんなに」について考えたい。私は授業ボランティアを経験して、質の高い教育とは「個々の能力に見合った教え方」なのではないかと思った。訪問したトンレアップ小学校では、学年ごとにクラスが振り分けられており、集団授業が行われている点では日本と同じだった。しかしその内容は日本とは大きくかけ離れているように感じた。私が担当した3,4年生の授業は、日本語や英語の基礎的な例文を繰り返しノートに書いたり音読したりといったことであった。音読の様子を見ていると、すらすらと読めて退屈そうにしている子もいれば途中でつまずく子もいた。授業ボランティアのそれぞれが教室に散らばり子ども達個人での対応をする様試みたが、経験の浅い私にとってその根気を維持することは容易ではなかった。それに比べて日本は授業数も教科数も多く、また最近はタブレットを導入し、より個々の能力に着目して教育がなされているように思う。私が小学生の頃はタブレットを使ったことはなかったが、私の5歳下の妹が学校から配られたタブレットで自分の好きな勉強をしているのを見ると、日本の教育は進化していると思った。
教育と聞くと、問題集を解いたりテストを受けたりといったことが思いつくが、私は学校に行って友達と遊ぶ事や話す事も重要な教育だと思う。訪れた小学校では、休み時間になるとすぐさま私の手を握って中庭に行き、一緒に鬼ごっこやだるまさんが転んだをして盛り上がった。子ども達の口角がずっと上がっていたのが印象的で、久しぶりに外遊びの楽しさを感じた。子ども達は皆仲良しで、今思えば喧嘩をしている所を見なかった。小学校に行くことで協調性も身に付くのだろうと思う。それは将来社会に出て非常に重要とされることだ。子ども達には思いやりを忘れずまっすぐ育って欲しいと思った。一方日本ではどうだろう。公園でも道路でも、遊んでいる子をあまり見なくなったように思う。やはり学校は勉強をする場としてはもちろん、新たな人と出会い協調性を学ぶという点においても重要な役割を持っている。
トンレアップ小学校の創立は2006年に教育の機会に恵まれない子ども達のために異なる国の4人が集まり行動した事がきっかけなのだそうだ。現地のサン先生に聞くと、日本語と英語を学べば、大きくなってから街に出て仕事を得ることができるそうだ。しかし世界には家計を支えるために学校に行けず働く子ども達もいるという現状も聞いた。それは近年問題視され、少しずつ改善されて、途上国の初等教育就学率は90%を超えたそうだが、次はその質を考えていかねばならないと思った。
その為に私は、まず「知ること」が大切だと思う。私は今回のボランティアで、「勉強面においての教育の質の格差」という問題を見つけることができたが、これは日本にいれば気づかなかったであろう。この見つけた問題は現地の先生に相談する等の形で改善していける。このように見つけた問題は、それに詳しい人に聞けば一緒になって考えてくれると思う。そして、世界には様々な人がいて、その「詳しい人」というのは沢山いる。だが現状を把握しないと問題点が分からず、解決策も浮かばないままだろう。つまり、「知ること」が大事だ。そのためには、実際に現地に赴いたり、新聞やニュースを見て身の周りや世界の情勢に目を向けたり、他人と話したりすることで新しく知る事も日頃沢山ある。凝り固まらずに、新しい事を吸収していきたい。