『目で見て思う。』
私は、とても恵まれた環境にいる、それを感じられるのは、自分と他に格差があるからだと思う。これを考えることができるのは、私が初めて日本からでて、得た濃い4泊6日の旅があったからである。
今年の春、カンボジアに研修に行き、数日だが、カンボジアの空気にふれ、さまざまな体験をしてきた。その中で、孤児院に子供を預ける親の家に入らせていただく機会があった。その家は、カンボジアの都市部から少し離れた田舎にあった。あたり一面、米や、私にはわからないような植物の畑、そして、大量のプラスチックのゴミがあった。所々に見える小さな家、その一つが、その子供の母親の家であった。その家には、壁がなく少し高い床のような場所、屋根、お風呂やトイレはなく、仕切りがない状態だった。中に入らせてもらうと、食料は少なく、少しの衣類しか目に入らなかった、これで生活をしているなんて簡単に信じることもできなかった。しかし、たくさん質問をし話を聞いていくうちに、翻訳をしなくても感じられるような残酷さを感じた。人1人でいっぱいいっぱいなスペースに子供3人と共に暮らし、子供にお金を稼がせて、森で取ったもので食料を賄っていた、そんな状況が私には考えられないし、嘘だと願いたかった。その帰り道、同じような家庭をたくさん見つけた、そんな人を見るたびに、一人一人のバックグラウンドが想像できた。そして、日本に帰り、電車の車窓から景色を見るとそんな家はひとつもなく笑顔にあふれたいた。このとき、日本とカンボジアの大きな格差を初めて身をもって感じた。教科書やインターネット上にあった写真や言葉たちは実在し、これは解決しなくてはいけない大きな課題だと感じた。
このような経験から私は、実際の貧困や、日本以外の国の現状を見たことによって改めて、SDGsのゴールの必要性や今、これからの未来への必要性、私たちが意識すべき理由を感じることができた。今私たちはとても恵まれた環境にいる。これを知るだけで、私にとってのSDGsへの意識や世界や物の見方の価値観がかわってきたような気がした。これからはこの経験を生かして、もっと具体的な活動を計画だけでなく行動に移して行くべきだと思う。