[ぼらぷらSDGs小論文]

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わたしのSDGsアクション

『本当の「質の高い教育」』

小論文

『本当の「質の高い教育」』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

日本の教育の問題点とはなんだろうか。中学校までは義務教育、高校への進学率は約九十九パーセント、大学への進学率は約五十八パーセントにものぼる。特にお金をかけずとも学校というある程度のレベルの教育環境が確保されるのだ。一見すると、誰もが平等に教育を受ける権利を得ているように思える。私自身、「日本は教育環境に恵まれた国だ」という話を何度も聞いたことがあり、何不自由なく高校まで進学してきた身としても、その通りだと思っていた。
そんな中、今回ぼらぷらのカンボジア教育ボランティアへの参加が決まった。カンボジアのような発展途上国での教育問題については、SDGsを学ぶ中でも度々話にあがっており、私も興味関心を持っていた問題であった。子供の心理発達に元々興味があった私の中で、カンボジアの学校の生徒たちは碌な教育を受けられず、心の余裕がない子供が集まっているものだろうというイメージがついていた。
しかし当日、私を出迎えてくれたのは目を明るく輝かせた元気な子供たちの姿だった。私たちがバスを降りると一目散にこちらに駆け寄ってきてくれるその姿。授業が始まっても、誰一人としてつまらなさそうな表情を見せず、「先生、先生」と積極的に質問してきたり、丸付けをせがんできたりした。新しい日本語の知識を身につけることに対して主体的な子供たちだと私は感じたのだ。日本の学校ではあまり見ないその光景に、私は非常に驚いた。授業をサボったり授業中に居眠りをしたりは勿論、近年は不登校の生徒の増加も問題となっている。文部科学省の調査によると、令和四年度の不登校の状況にある小中学生の人数は約二十九万人、高校生の人数は約六万人と、どちらも増加傾向にある。対してカンボジアでは、皆が学校に対して負の感情を抱かずに、楽しそうに学校に来て、充実した学校生活を送っているように見える。私はこれを、教育の貴重さの違いではないかと考えた。冒頭に記した通り、日本では多くの人が当たり前に学校に通うことができ、教育を受けられる。そのため、学校で学ぶこと自体にありがたみを感じる生徒が少なく、近年の不登校児への対応が一般的になってきたことにより、少しでも学校が嫌だな、きついな、と感じたら学校に行かないという選択肢をとってしまう生徒が増えたのではないか。逆に教育というものが貴重であり、当たり前ではないカンボジアの子供たちは、あそこまで学校に熱心になれるのではないだろうか。
SDGsの目標の一つに、「質の高い教育をみんなに」というものがあるが、これの意味について少し深く考えてみた。今までは、学校に行くことができる、授業を受けることができるなど、外面的な事実のみで質の高い教育というものは判断されてきたように思う。しかし、これからの時代において本当に必要なのは、「一人一人が主体的に受けようと思える教育」なのではないかと思う。自ら自分の目標や志を持って、それに対してどう向かっていくかを考え、行動する。自律した学習者の育成が本当の「質の高い教育」なのではないかと思うのである。日本のような教育のレールに乗っていればいつのまにか社会人になっているような国では、ただただされるがままに知識を詰め込まれた大人が生みだされてしまう可能性がある。途上国に対して第一に学校を建設し、最低限の教育の場を設けることはもちろん重要であり、これがないと目標達成への一歩も踏み出せない。しかし、多くの人が学校へ通う環境がある国であっても、その環境が、一人一人が教育というものの意味を確立させ、将来に生かすように導くものでないと意味がないと私は思うのである。

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