『村の小学生と学んだこと』
カンボジアと聞いて何を思い浮かべるだろうか。そもそも、国自体を知らない人もいるのではないだろうか。私は、カンボジアにある村の小学校で授業を行うボランティアに参加した。現地に着くまでは正直、カンボジアなんてどこにある国なのか、どんな国なのかが全くわからず、どうせしっかりとしたコミュニケーションなんて取れないだろうし、授業といってもみんな言葉が伝わらず授業に集中してくれないのではと思っていた。しかし、この経験は私にとって新しい学びと経験が多く起こるものとなった。異国の地で教育活動に関わることで、今まで以上に視野が広がり、教育の重要性、文化の違いについて深く考えるきっかけとなった。
カンボジアの村についてまず驚いたのは、小学校の環境だった。日本の学校とは大きく違っていて、扇風機が2台、教室内はサウナのように暑かった。黒板と数が少ない机、子どもたちは寄付されたノートを作って授業を受けていた。それにもかかわらず、子どもたちは授業が始まると目を輝かせ、楽しそうに授業を受けていた。私が担当した授業では、ひらがなやアルファベットを教えた。ひとりひとりが一生懸命にノートに練習し、読むときには先生の言葉を丁寧に繰り返していた。この真剣かつ積極的に授業に取り組む姿から、私自身も子どもたちにものごとを教える喜びを感じた。カンボジアの村では、日本とは異なる文化や生活習慣が多く見られた。子どもたちはとても親しみやすく、私たちボランティアを温かく迎え入れてくれた。特に印象的に残っているのは、子どもたちが日本に対して強い興味を持っていたことで、折り紙や日本の遊びを紹介すると、彼らはすぐに夢中になった。授業の合間に彼らと一緒に遊びながら、言葉が通じなくても心でつながることができると感じた。カンボジアの子どもたちの遊び方と日本の子どもたちの遊び方は似ていて、妹と同じ年代の子どもたちとはより親密にに関われたと思う。子どもたちと接する中で、自分の国の文化や習慣を改めて見つめ直すことができた。
この研修を通して、私は教育が持つ大きなカを実感した。教育は、相手に知識を教えるだけでなく、子どもたちに未来への可能性を与える手段でもあることに気がついた。村の子どもたちはみんな、学びたいという強い意志を持っている子どもたちが多くみられた。彼らにとって、学校は未来への希望を育む場所であるとみて分かった。私は、そんな子どもたちを育てる一部にボランティアとして関わることができて、彼らの手助けができたことに大きなやりがいを感じた。また、教育だけでなく普段の生活にも学ばされることがあった。日常の中で当たり前に感じていたものが、実は恵まれた環境によるものであることを再認識した。私自身も社会の一員として、他者のためにできることを考え行動する重要性を実感する良い機会となった。ボランティアは一方的に助ける活動ではなく、現地の人々との相互協力を通じて、共に成長し、学び合うものだということにも気づくことができた。
カンボジアの村の小学校でのボランティア研修は、私にとって非常に意義深い経験であり、この先決して忘れることないものとなった。異文化交流を通じて得た学びや、教育の重要性、そしてボランティア活動の意義は、今後の私の人生においても大きな影響を与えることになるだろう。この経験から、私はさらに成長し、社会に貢献できる人間になりたいと強く感じた。
大変満足
人の役に立ちたい、子どもたちと交流がしたい
一生モノの学びになった!
すごく良かった!
視野が広がった!
勉強になった!
いい経験になった!
学校で聞いてやってみたいと思った
小論文に書いたように、さまざまな学びがあった。
社会に貢献するにあたってこの経験を頭に片隅に置いておく。
有意義なものになります。楽しんでください。
会員様から頂いたメッセージは私達にとって何よりの励みになります!!
ナムさんほんとにいい人だった。