『貧困を脱することとは、未来を考えることができること。』
私がSDGsについて知ったのは中学生の頃であった。新学習要領が導入され、その中に持続可能な社会の創り手の育成と明記されたことから学校教育にSDGsの学習が入ったのだ。初めてSDGsを学んだ際、私はジェンダーギャップ指数や大量消費など国内のSDGsへの課題に関心を持っていた。しかし今年の夏、学校で紹介されたカンボジアボランティア研修に参加し、私は世界の貧困の問題に興味を持った。
そこで私はカンボジアでの研修の経験を通して、SDGs一つ目の貧困をなくそうについて考えていく。
世界では6人に一人が必要最低限の生活水準が満たされていない極度の貧困状態で生活している。また、貧困は経済的な問題だけでなく教育や就業機会を得られないことも含まれている。貧困を脱するとは経済面だけの解決では意味がないのだ。
私がカンボジアでボラプラのスタッフの方に伺って印象に残ったことがある。それは学校建設にあたって、子供達の親が子供を学校に行かせたがらないと言うことだ。その理由として教育の重要性について理解されないことがある。800世帯が住む村はほぼ農家であり収入は天候にも大きく左右される。乾季は親が出稼ぎに行きその間子供達は親戚のお世話など仕事がある。しかし、出稼ぎは学歴が関係なく体力さえあれば良いが、長時間労働により体調を崩す人が多いのだ。また給料も1日に使うお金の2倍にも満たず、常にギリギリの生活を余儀なくされている。そのような生活環境では長期的に高収入の場で働けるように勉強するのではなく目先の稼ぎに注目しないと生きることができない。それに親世代は学力がなくても働いて生きていけていることもあり学校に行かせようと思えない。その学校では町長などが定期的に村の人に集会を開いて子供達が学校に行くことの必要性を説くことで課題解決への足掛かりとしていた。
この経験から、貧困を脱するとは長期的な未来を考えることができることであると考える。そのために私たち先進国や金銭的に余裕のある人々ができることは保護者に教育の必要性を説き、子供達が教育を受けより良い環境で働き稼ぐことができるまでの家族への支援が必要であると考える。