[ぼらぷらグローバル小論文]

小論文

『カンボジアの現状と抱く未来「当たり前が当たり前じゃない生活」』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

僕は今回カンボジアに訪れて感じたこと、印象に残っていることはカンボジアの農村部の学校を訪れた時に感じたのが、「僕からしたら当たり前が当たり前じゃない」ということです。
まず僕は将来教育系の仕事に就きたいと思っているので他国のまだあまり発展していない国の教育機関をこの身で体感、感じてみたいと昔から思っていて、友達から「カンボジアボランティア研修を一緒に行こうや」と誘われた時に「自分の将来の可能性、視野を広げたい」と強く思ったので、カンボジアに飛び立ちました。
正直カンボジアに行く前の僕は「見渡す限り一面畑や森林が広がってるんやろうなぁ」と思っていたのが、都市もあり、農村部もあり予想と少し違いました。でも行ってみて思ったのが、カンボジアは農村部と都市部の格差が凄く大きくて、都市部と農村部で人々の服装などの生活に違いがありました。僕は農村部の学校に訪問した時、目を疑う光景が目に飛び込んできました。みんな体感温度40度越えの外を裸足で走り回って遊んだり、扇風機が一つしかない吹き抜けの教室で授業を受けてたりと想像を絶するぐらい過酷な環境でした。僕も2日間学校には滞在させてもらいましたが、子どもたちの元気に圧倒されながら外で遊んだり、勉強をいっぱいしたり、色々詰まった濃厚な2日間でした。
その中でも僕は「カンボジアの子供たちに日本の遊びを体験してもらう」と思っていたので、
折り紙を200枚持っていってみんなで紙飛行機や折り鶴を作って遊んでいたのですが、2日で200枚なくなってしまいました。ここで感じたのが、カンボジアの子供たちは僕たちがやってる動きや遊びに積極的に質問しとても笑顔で挑戦してとても興味津々に試行錯誤していました。これは日本ではとてもみられない光景でおどろきました。日本語の授業中「この問題誰かわかる人〜?」と僕たちが言うと「I can,I can.」と飛び跳ねて楽しそうに僕の授業に参加してくれたのが感動し、教師になりたいという僕の夢を大きくしてくれました。正直言うと僕たちは「学校に行くのが当たり前、学校に行くのが日常生活」ですが、カンボジアに行って
「学校に行く当たり前が当たり前じゃない」ということを凄く考えさせられました。
僕はカンボジアの農村部と都市部の格差をもっとなくすべきだとおもいました。農村部の子たちは低学年から無免許でバイクを乗って隣村から学校に通うほど村にある学校の数は少ないので学校をもっと増やして、他国のボランティアの力でこのカンボジアの現状を継承していって
支援していく人が増えていけば、街や村の経済は潤って子供達の夢を叶えることができると僕は思うので、これからもこの経験を帰国後も次の世代に伝えていきカンボジアや貧困の国に住んでいる子供達に夢を与えられる存在になれたらと思います。
僕はカンボジアに行ったことでたくさんのことを教えてもらいました。そして一番印象に残っているのは冒頭にもあった通り、「当たり前は当たり前じゃない」このことを強く伝えていきたいです。そしてカンボジアは日本にはない悲しい歴史がたくさんあり、人々が辛い経験苦しい経験をして乗り越えてきた国なので得るものがたくさんありました。例えば、キリングフィールドで人々の悲しい記憶を学んだりトンレサップ湖に行き壮大な湖と対話しているような感覚を体験したりアンコール遺跡群に訪れて皇女様と会ったり、カンボジアしか体験できない奇想天外で日常生活から逸脱した世界を見ることができました。なので是非一回カンボジアにきて見てほしいととても強く思うと同時に、この体験を人々の温かみを感じて欲しいです。

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