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ルワンダはアフリカ大陸の中部に位置している国です。1990年から1993年にかけて内戦が勃発しました。これがいわゆるルワンダ紛争、あるいはルワンダ内戦です。フツ族の政府軍とツチ族ルワンダ愛国戦線の対立によって行われました。
農耕民族であるフツ族に対してツチ族は遊牧民族として牛を複数飼っていたことから比較的裕福な人が多くいました。第一次世界大戦以前、ルワンダはドイツの植民地でしたが、それ以降はベルギーの植民地となってました。ベルギーが植民地にしていた時代では、ツチ族が君主となってフツ族等を間接的に支配する関係ができていましたが、鼻の大きさ、肌の色が基準となり、多数派であるフツ族を筆頭に差別をされていました。ツチは高貴、フツは野蛮という神話等を元にした説が広まり対立感情が膨れ上がりました。1959年にルワンダ革命が行われるとツチ族とベルギーとの関係が悪化したのです。国連も関係改善勧告をしましたが、ベルギーは無視をしてフツ族の体制転覆の手助けをしました。過程の中でツチ族は報復を恐れてウガンダに脱出したのです。1962年にルワンダは植民地支配から解放されて独立を果たしルワンダ愛国戦線が作られました。1973年にクーデターが起こり政権についたフツ族のジュベナール・ハビュリマナはツチ族との種族的な融和政策を行い、政治と関係しない限りは弾圧等は行われませんでした。特に経済的な活動を積極的に推奨し、ツチ族のビジネスマンも生まれて、フツ族とツチ族との間での結婚も進み共存関係が作られました。しかし1959年にルワンダ革命や騒乱により国外から出ていたルワンダ人系のツチ族の子弟は難民として難民キャンプで厳しい生活を送っていました。ウガンダ内部でも差別されてもいます。ウガンダに内戦が起こった時に反政府軍側に多くのツチ族が味方について勝利をしまました。その後、ツチ族の難民の指導者だった人間たちがウガンダの権力ピラミッドの中でも上方に位置し重要な存在となっていました。結果、ルワンダ愛国戦線が疲れて、フツのハビュリマナ政権に対して反政府運動を行いルワンダ内戦となりました。1993年に和平協定が結ばれましたが、1994年にフツ至上主義が台頭した経緯の中で、ハビュリマナとンタリャミラ大統領が暗殺される事件が起こり、政府とフツ族の暴徒がツチ族と穏健派フツ族を虐殺しました。ルワンダ内戦の中でも大きな悲劇となったルワンダ虐殺です。80万人から100万人が犠牲となりました。