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スリランカで1983年から始まったこの内戦は、2009年にスリランカ政府軍がタミル・イーラム解放のトラの拠点を制圧したことによって26年越しに終結しました。
スリランカは、総人口の7割を占めるシンハラ人と、2割を占めるタミル人、スリランカ・ムーア人等が住む多民族国家です。このシンハラ人とタミル人との戦いの原因は、古くは大航海時代にまでさかのぼります。1505年にはポルトガルが、1658年にオランダが香辛料を求めて次々に来航しスリランカを植民地にしました。1815年には、キャンディ王朝が滅亡したことにより、イギリスがスリランカの全地域を植民地にすることになりました。この時に、イギリスによって少数派のタミル人を優遇し、多数派のシンハラ人を統治させる政策が行われました。その結果、シンハラ人はタミル人による厳しい弾圧に苦しみ、タミル人は優遇された生活を送り、社会的にも高い地位を占めるようになりました。その後、イギリスからの長い植民地時代を経て、1948年にスリランカはイギリス自治領として独立しました。この頃から、多数派のシンハラ人たちが徐々に力をつけるようになりました。1972年にはイギリスから完全に独立したことをきっかけに、独立後は多数派のシンハラ人たちの行動がエスカレートしていき、シンハラ人に優位な方法でスリランカの国を作ろうとしたため、今度は少数派のタミル人達は苦しい日々を送ることになりました。そのような中で、タミル人たちの間で、スリランカから独立してタミル人の国を作ろうとする運動が生まれました。この運動の行っていたタミル人の中で最も過激な派閥となったのがタミル・イーラム解放のトラという組織です。1983年になると、タミル・イーラム解放のトラはスリランカ政府軍に対して、ゲリラ作戦で攻撃し始めました。スリランカ政府も攻撃を開始したことをきっかけに各地で暴動が次々と起こり始め、スリランカ内戦は始まりました。
4度の停戦と戦争を繰り返し26年という長期にわたったスリランカ内戦は、2009年にスリランカ政府軍がタミル・イーラム解放のトラの拠点を激しい攻撃の末制圧したことにより終結しました。この内戦によって、約7万人ものスリランカ人が犠牲となったと言われています。