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それぞれの国には個別の事情があり、基本的には国内の問題については不干渉が原則となっています。しかし中には深刻な人権侵害が行われている国もあり、その場合、他国や国際機関が問題を解決する為に軍事力を持って介入することがあります。
武力を使う事によって問題を止めさせることになりますが、同時に、国際人権法に照らし合わせると制度的な保障という部分に議論の余地が有ります。国連憲章の第一章には、人道的性質の国際問題の解決の為の手段として国際協力が言及されています。他方で、加盟国は武力による威嚇や武力行使を原則として禁止している等、矛盾が存在しています。そのために解釈が難しくなっており、混乱を引き起こす一要因となっています。
そもそもの話として、人道的介入は1960年から1970年に勃発したビアフラ戦争によって生まれました。この紛争によって飢饉が発生し、多くのメディアがそれ取り上げました。しかし、各国は中立や不干渉を決め込んで事実を黙殺したのです。
2005年の9月に発表された国連首脳会合成果文書の中に、保護する責任という言葉が認められました。これは自分の国の国民を保護するのはそれぞれの国に責任があるが、この責任を果たすことができない国もあり、もしそのような国があるのだとしたら当該国家が責任を果たさないのだから、代わりに国際社会に保護する責任が生じるというものです。人道的介入に対しては様々な国家の抵抗がありましたが、議論をした結果、国連において保護する責任は認められたのです。
1999年、北大西洋条約機構、いわゆるNATOはユーゴスラビア連邦共和国とコソボ・メトヒヤ自治州に大規模な空爆を行いました。セルビア人の武装勢力がアルバニア住民を虐殺しているので、それを止めるという理由からです、このケースでは国連安保理の決議は受けていません。しかし、行った後に、結果が事後承認されることになりました。合法性や違法性等の観点から様々な議論が行われましたが、コソボ独立委員会では、空爆は違法だ。しかし正当だったという難しい結論が出ています。この事に対しても多くの議論が生まれています。
人道的介入をどのようにあつかうかという点は、国際社会にとっての課題であり続けています。