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国際的には紛争から平和を定着させていく過程の支援のことを言うが、大規模な自然災害が起きた時に行う支援活動も復興支援と呼ばれます。
日本が携わった大きな復興支援はカンボジアとイラクでした。1970年代から約20年間、内乱に明け暮れたカンボジアでは、1989年に国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC:United Nations Transitional Authority in Cambodia)による暫定統治が始まりました。このとき、日本からは自衛隊施設大隊、停戦監視要員、文民警察官および選挙監視要員など、延べ約1300人が派遣されました。そしてこれが、日本にとって初めての自衛隊のPKO(国際連合平和維持活動)派遣でした。これほど大掛かりな海外派遣は日本としても初めての試みでした。このときは、1993年4月に国連ボランティアの中田厚仁さんが銃撃され死亡しました。また、5月には文民警察官一行が襲撃され、高田晴行警視正が死亡するなど、尊い人命が失われました。このように、戦乱があった国の復興支援活動は常に命にかかわる危険な任務でもあります。カンボジアでの復興支援活動は、1993年の総選挙で終了しました。
2003年には、イラク戦争後のイラクで人道復興支援活動が、主に自衛隊によって行われました。このときは、派遣される地域が戦闘地域なのかそうでないのかで、国会でも大変な議論となりました。自衛隊は戦闘地域ではないとされるイラクの南部サマーワに派遣され、2006年まで給水支援、医官らがサマーワ総合病院において医療機材などの使用方法を教える医療支援、学校などの施設の復旧、整備支援などを行いました。また、現地住民の雇用支援として復旧作業などに約700人を雇用しました。人的支援以外にも円借款による復興支援もされています。日本が出した金額は35億ドルの円借款、また、社会インフラ整備のための支援として60億ドルを拠出しています。そのほかにも国際機関を経由しての支援や、イラク復興関連基金への拠出などを行いました。
このように、日本による外国への復興支援活動は、金銭によるものと人的貢献によるものとが行われています。そしていずれもが現地で生活する人々に実際に役に立つような支援であることを前提としています。人的貢献ではカンボジアにおいて犠牲者を出したように、危険を伴うものではありますが、復興支援活動は、国際社会のなかで平和国家として生きる日本の義務だと考えるべきでしょう。現在は、日本で度々起こる大地震の経験などを活かして、自然災害からの復興支援において活躍することも期待されています。