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ハリケーン・カトリーナとは、2005年8月末にアメリカ合衆国南東部に来襲した大型のハリケーンです。ハリケーンの強さを示す値であるシンプソン・スケールでは最大時で最高値となるカテゴリー5、ルイジアナ州上陸でカテゴリー3でした。
ハリケーン・カトリーナは死者1836名、被害総額1080億ドルの甚大な被害を与えましたが、その中でも大きな被害を出したのがルイジアナ州の都市ニューオリンズでした。総死者数の8割にものぼる1577名を出しました。また、約120万人が避難しました。
ニューオリンズ市は海抜下2メートル前後に位置しており、かねてよりハリケーンが来た場合、甚大な被害が予想されていました。そのため、連邦政府も州政府も事前に訓練が行われていましたがニューオリンズを守るための堤防や排水設備等の設備は追いついてはいませんでした。ハリケーン・カトリーナが上陸したとき53の堤防は次々に決壊、市内の80%が水没しました。全体の7割にあたる約13万軒の家屋が損傷しました。
被害が拡大したもう一つの要因として救済活動の遅れがありました。ルイジアナ州の州兵隊総人員の6千名しか動員できなかったのです。その理由にはイラク戦争に3千名派遣されていたことが挙げられます。また、連邦政府からも一刻も早い人員派遣が必要でありましたが、そのためには国家的災害の認定が必要でした。その認定がされたのは浸水が始まってから1日たってからでした。また、当時の政権下では連邦政府緊急事態管理庁も縮小されていて迅速な意思決定や行動が困難な状況にありました。
さらに、拡大するデマは人々を凶行に走らせました。ニューオリンズでは殺人や強盗などが横行していると市長までもがデマを発信し、これらのデマは災害対策を遅らせるだけではなく、黒人被災者や障害者を襲撃する、ニューオリンズを出てきた被災者に向けて威嚇射撃をして追い返すなどの行動を生み出した他、救援物資を乗せたトラックの搬入の制限など被災地域への差別、格差の問題も浮き彫りにしました。
様々な要因がある中で行政機構の問題、事前の災害対策への不十分さ、危機管理の問題の被害がさらに大きくなったといえます。またニューオリンズに潜んでいた差別、格差などの様々な問題が重なりあい、最悪な結果となってしまいました。このハリケーン・カトリーナによって当時の政権が災害対策を軽視していたことが露呈する形となりました。
9月5日には5万人の米軍が災害救助で派遣され次第に収束していきました。