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阪神淡路大震災とは、1995年1月17日に兵庫県南部を中心として発生した大規模な地震災害です。
正確には1995年1月17日5時46分52秒に揺れが確認されました。被害は近畿地方の広範囲にわたり、特に神戸市市街地の被害は人に対しても、建物に対しても甚大なもので、関東大震災以来の地震災害としては2011年の東日本大震災につぐ大災害となっています。
震災における直接的な被害として、死者6,434名・行方不明者3名・負傷者43,792名と記録されており、その被害は兵庫県内に集中しています。また、兵庫県内を中心に病院や役所などの公共施設、高層ビルやオフィスビルなどの法人施設、マンションなどの居住施設などあらゆる建物に対して壊滅的なダメージを残しました。木造建築の建物で震源近くに存在したものは、ほとんど全壊してしまいました。災害による死者のほとんどが、建造物の倒壊による圧死や窒息死であったと推察されています。発生時刻が早朝であったため就寝中の方が多く、避難が遅れたのが大きな原因と言われています。建物の一階で就寝されていた方の死傷率が高いとされ、それに比べ2階は倒壊後も生存スペースが確保されやすく死傷者が少なかったようです。
災害があった後、復旧までに様々な取り組みがなされました。災害直後は生存者の救出のために圏外からも救急隊が駆けつけ救援にあたりました。。地震が収まった後も、インフラ周りの被害は大きく、道路・鉄道・電気・水道・ガスなどのライフライン絶たれ広範囲にわたり混乱をもたらしました。そういったインフラ周りの復旧に対して、圏外の電気会社やガス会社も協力して整備にあたりました。その他にも全国から様々な形の支援がなされ、義援金やボランティア活動など民間の力も借りながら復興をめざしました。
他方で、災害の救援に対し問題点も見受けられました。断水が発生し、かつ街自体の消火設備が整っていなかったために消火活動が遅れてしまったのが問題の一つでした。一部の地域は火の勢いを抑えることができず、放任火災活動とよばれる被災者の避難のみに集中する手法がとられました。この経験から、大規模な火災に備えた街づくりが課題となりました。
毎年1月17日になると、ニュースなどで追悼式の映像が取り上げられます。多くの被害がうまれた災害として後世に伝えられるであろう歴史的大災害といえます。