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1997年に設立され、過去にカンボジアに埋められた地雷がどのような影響を現在まで及ぼしているかを解説しています。世界の人々に、地雷のない世界を考える機会を提供し、被害を受けた子供たちの救済施設を援助しています。ア・キラ氏の正確な青年生年月日は不明ですが、1973年頃誕生といわれています。両親を内戦で失い、幼年時代から兵士として育てられ、自身も兵士として数えきれない地雷を埋めました。しかし、20歳になり、国連平和維持軍に籍をおいた時、地雷処理を始めました。現在は地雷除去活動家として知られています。
ア・キラ地雷博物館は、カンボジア語(クメール語)、英語、日本語の3ヶ国語で館内案内が出ています。入場料は5ドル、開園時間は7:30から18:00、原則年中無休となっています。ア・キラ地雷博物館には、地雷の形をした石鹸(クリーンにしようという意味で)が販売され、寄付も受け付けています。ガラス張りのケースには、安全処理後撤去された地雷や不発弾が、山のように積み上げられています。地雷は戦車を破壊することにも使用されますが、対人殺傷目的でも使われています。敵軍に、手や足を失った負傷者が出ればそれを介護するために人手が必要になり、敵軍の侵攻速度を遅くすることが可能です。また、進行方向に地雷があることが分かればそれを避けるか、除去するかしなくてはいけません。地雷除去が難しいのは対車両を目的としたものだけではないということです。500kg以上の重さが掛かった場合だけ爆発とか、人の片足の10kgの圧力だけで爆発するようになっているものなど様々だからです。
現在もカンボジアでは地雷の被害にあう人が少なくありません。ア・キラ地雷博物館に寄せられたお金で、今までに75人以上を援助しており、平和活動に関する講演でア・キラ氏が来日したこともあります。カンボジア国境付近には、広範囲の未探索地域があり、侵入禁止の札が立てられています。安全区域とするには、金属探知機を使って1歩ずづ探したりする、気の遠くなるような作業が必要となっています。過去には1万人を超えていたという地雷除去作業員も、今では2000人程しかいないのではないかという報告もあります。ア・キラ氏が現在も除去作業などを続けている理由は、過去に自分が埋めたことがあるから、罪ほろぼしにやっていることだ、という自身の発言もありますが、それでもフリーの立場で活動していることには、強い信念が感じられます。