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東はジア、東南アジア諸国に見られてきました。発展途上国が経済的に発展していくためには、権力を分散させることや、多用な要求を持つ国民の参加が前提となる民主主義は非効率的であるという考えに基づいています。開発独裁は、少数のエリートによって政策決定がなされ、権力を集中させたもとで資源が活用されています。
経済発展が一定水準に他すれば、民主化が可能になると考えられている。実際に経済成長を遂げて民主化した東アジアの国々は成功例と言われています。
例えばインドネシアのスハルト政権ですが、第二次大戦後の独立戦争後の秩序維持として国軍の支持を受けるスハルトが第二代大統領になり、その後経済発展を優先するために民主化運動家を拉致・拷問するなど強権を発動して抑圧していきます。国内的には一定の安定を得、経済発展も順調に遂げていきますが、アジア通貨危機に端を発した経済危機で事態を鎮静できなかったスハルト政権は、それまでの強権的な手法が住民から糾弾され始め、身内や部下、贔屓にしている商人に特権的に利益を分配するなどへの反発から、大学生の反政府デモが引き起こされます。それに続く一般市民のデモ参加と一部暴徒化や政権内部の批判が重なり、1998年5月スハルトは大統領を辞任します。約30年間彼は大統領職に就いていたことになります開発独裁と言われた過去の事例には、他にフィリピンのマルコス政権やマレーシアのマハティール政権が挙げられますす。
現在でも一部残存している国としてシンガポールが挙げられます。現在も一党独裁体制が続いています。ただし、先進国並みの経済発展を遂げています。
用語の使われた経緯ですが、1980年代半ばからマスコミにおいて多く使われ始めました。韓国、台湾で民主化の報道がなされていたことと、各アジアの開発途上国で負の側面が大きく取り上げられ始めた時期とに重なっています。しかし、日本語を使う研究者の中ではこの語を使うことに慎重な人たちがいます。というのは、理論的整理が必ずしもなされてるとは言えないことと、「独裁」という言葉を使うが民主的側面を残してはいることが挙げられるからです。その点がファシズムと違うところで、一党独裁ではなく他政党が存続することを許していました。しかし、事実上は政府が管理している民主選挙でしたので与党勢力が圧勝することに変わりありませんでした。例として先ほどのスハルトのゴルカルという政党が挙げられます。
この様に、国内の安定を図るために強権的な統治をし経済発展を優先することを開発独裁と呼んでいます。