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原稿の経済システムでは、先進諸国と発展途上国の格差是正、つまり南北問題の解決は不可能だとして、新たな経済秩序の実現を求めて出された宣言です。
戦後の世界経済の仕組は、発展途上国にとって不利な条件が前提として存在しています。このような状況を改善するために先進国にルール・仕組の変更を求めたものです。
戦後の国際経済秩序は、ブレトンウッズ体制という自由貿易と多角、無差別主義を基本としていました。これには、先進国ばかりでなく発展途上国も参加していたのですが、発展途上国側は、自由貿易の恩恵が得られず、かえって貿易が縮小したり貿易収支が赤字になったりしました。これによって、先進国との経済格差が広がり、不満がたまってきていました。その後、1970年代に入り、ヨーロッパや日本の経済的発展とアメリカの経済の低下による金とドルの交換停止などの経済的な事件もありました。1970年代のはじめ頃に77の発展途上国がリマ憲章によって、先進国中心の経済秩序に不満を表明する宣言を行ったのが始まりでした。
1973年には、アラブ石油輸出機構によるオイルショックが起こるなど資源国側の行動が成功する例がみられるようになりました。このオイルショックによって、価格決定権を生産国が持つようになったのと同時に石油価格が4倍に引き上げられました。アラブ石油輸出機構の先進国側に対する勝利は、77カ国の発展途上国にも追い風となって、最初に述べた1974年の国連でのNIEO国際経済秩序宣言の採択に至ったのでした。
このようにしてNIEOが採択され、しばらくは資源ナショナリズムの広がりがありました。しかし、オイルショックとNIEOの採択を頂点として、発展途上国側の発言力は低くなっていきました。これは、経済発展に成功する国やそうではない国など、発展途上国間にも多様性が生まれ協調が薄れたことが原因だといわれています。