戦争証跡博物館
WarMuseum
1概要
ベトナム戦争
終戦後北部にベトナム民主協和国が樹立され、1954年にはジュネーブ協定によってベトナムが南北に分断されたというのはみなさんもきっとご存知だと思います。 この戦争は一部から冷戦の主人公たちが繰り広げたhot warとも呼ばれるほど、世界的に政治的な意味合いを持ったものだったと言われています。
ジュネーブ協定後南ベトナムではアメリカがサポートするベトナム共和国ができますが、汚職まみれだったと言われる政治で国民から不満がつのっていたそうです。 そこで北ベトナムが南ベトナム開放民族戦線(ベトコン)を結成、内線が始まってしまいます。
北ベトナムにはロシアの後ろ盾がついており、アメリカは南ベトナムを支援していました。 冷戦の真っ最中だったロシアとアメリカ。アジアにおける共産主義の広まりを恐れたアメリカはこの戦争に負けるわけにいかず、南ベトナムに軍隊を派遣、また北ベトナムに255万トンもの爆撃を行ったりと軍事介入を始め、対する北ベトナムはゲリラ戦線で対抗しました。 ベトナムの内戦、とは済ませられない歴史的背景をもつベトナム戦争。どちらの側でもたくさんの人が亡くなり、死者には民間人200万人を含むと言われています。
戦争証拠博物館
そんな悲劇を繰り返さないために、悲惨さを記憶から薄れさせないために建設されました。
敷地内にはたくさんの戦車や戦闘機が並べられ、戦争の歴史をたどった展示や資料を見ることができます。 写真もたくさん展示されており、戦争の悲惨さをまざまざと伝えています。
博物館の中には、世界中から集められた平和を望むポスターや看板が展示されている部屋もあります。 その中には日本から届いたと思われるものもあります。
日本の戦場カメラマン
実はベトナム戦争には、たくさんの日本のカメラマンやジャーナリストが赴いていました。 博物館には一ノ瀬泰造さんという方のカメラの写真もあります。「安全への逃避」と名付けられた親子が銃弾を避けるために川を渡って逃げている様子を収めた写真で有名な方です。 「安全への逃避」も博物館に飾られています。
また、中村梧郎さんという方が撮った枯葉剤の被害についての写真が展示されているコーナーもあります。
2現地の様子
活動の様子
活動初日にこの博物館を訪れていただいて、しっかりとベトナム戦争について理解を深めてから活動をしていただきます。 悲惨な写真に心が痛むかもしれませんが、この悲しみを繰り返さないようしっかりと学習してきてください。
3参加者の声
“ベトナムが戦争で傷ついた歴史が今でも人々の心に強く残っていることを知りました。戦争の記念館やクチトンネルに行って、その悲惨さに目をそらしたくなるようなものも、たくさんありました。”
“ベトナム戦争の歴史やその悲惨さ、今もなお枯葉剤の影響で苦しんでいる人がいるということもこのスタディツアー出会いました学びました。私たちにできることはそれほど多くはないのかもしれませんが、自分が経験したことを伝えていくことが私たちの役目かなと感じました。”
“このツアーに参加する前はベトナムの歴史や文化を教科書で学んだような知識しかありませんでした。しかし、ベトナムに実際赴いてみるとベトナム戦争の悲惨さ残酷さ、枯葉剤の影響は遺伝により今も子どもたちを苦しめている事、今まで知らなかった様々な現状を間近で見る事ができ自分の視野を広げる事ができました。”