[ぼらぷらSDGs小論文]

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わたしのSDGsアクション

『あなたの当たり前は本当に当たり前?』

小論文

『あなたの当たり前は本当に当たり前?』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

 世界には1日1.9ドル以下、日本円で言うと約200円で暮らしている人々がいることを日本人は知っているだろうか。200円といえば食費だけで考えても、朝ご飯にパンを買ってしまえばもうほとんどなくなってしまう値段だ。この金額で現代の日本人が暮らすよう言われても、現実的ではないことが事実だ。しかしこれを「当たり前」として生きている人々が世界にはいる。この当たり前をほったらかしにしておいて本当にいいのか。私たちは時に自分たちの生活が恵まれていることを忘れてしまう。
 SDGsは世界中の国で「誰も置き去りにしない世界」を作るため、掲げられている17の目標を達成しようとする試みである。その目標は貧困、飢餓、福祉など様々であり、日本の達成度は世界17位、アジアの中では健闘していると言われる数字だろう。しかし反対にSDGs知名度は世界最低レベルである。ここで違和感を持った。世間の知名度は低いのに、取り組みは着々と進んでいる。これは多くの人々が知らない間に日本、世界が変化しようとしていた→又SDGsは政府がするものだろうという思考になり、自分には関係ないのが「当たり前」な日本が作られつつあるということだろう。
 日本人のあらゆる世代が「当たり前」だと思い込みやすいのが、「教育」に関することであろう。日本では義務教育の制度があり、小学生・中学生は「当たり前に」学校に行けるよ、と呼び掛けているような制度である。確かに日本人の小学生はこの制度によって、だれもが平等に教育を受け、教養を身に着けることができる。しかし前にも述べているような1日1.9ドル以下で過ごす子供たちが同じように学校に行き、教育を受けることができているのか。現実はそうではない。このような現実、自分の生活とあまりにもギャップがあることには盲目になりやすいだろう。
 しかし、SDGsは気づきがなければ進展しない。さらに一人が気づけば、一つの国だけが一生懸命問題解決に向けて取り組めば改善できるような問題ではない。そのため、日本がまず第一歩として行わなければならないことは、SDGsを知り、「当たり前」だと思っていることが、当たり前でないことに気づくことであろう。
 実際に15年ほど前まで小学校がなかったカンボジアでは、現在はボランティア活動によって教育の提供が改善しつつある。私がオンラインでカンボジアの子供たちと日本語を学習して感じたこと、それは勉強ができて「嬉しそう」「目がキラキラ」していることだった。ある国の子供たちは、十分に教育を受け、勉強を受けることができる、少し離れたある国では、教育を受けることができず、勉強したくてもできない子供たちがいる、こんな不平等な状況があっていいのか。私たちには、世界中の教育を受ける、勉強する子供たちのキラキラした目を守り続けていく役目があるだろう。
 私たち先進国に住む人々にできること、一歩目は現状を疑い、当り前を疑うことだろう。そこから、解決に向けて大きな行動を起こすのは容易なことではない。そのために世界全体でSDGsは可決されており、協力し合えることがなによりの強みだ。私たちが、疑問を持ち、少しずつその疑問を広げていく、そうした少しの行動が大きくなることで、SDGsは推進されていくだろう。SDGsは決して他人事ではないのだ。

安部由紀子 准教授氏

「当たり前」を見直そうという、とても大切な提言をしてくれています。カンボジア、SDGs との出逢いを通してたくさんの気付きがあって良かったですね。SDGs研修に参加してみようと、一歩を踏み出して、たくさんのことを吸収された、乃愛さんの勇気と行動力、素晴らしいと思います。これからの大学生活、日々の中でも、「当たり前」をどう見直すか、更に積極的に行動してみてください。どんどん新しい世界が見えてくると思います。

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