『教育は「当たり前」か「有り難い」か。』
「教育」とは、知識の啓発、技能の教授、人間性の涵養などを図り、人の能力を伸ばすことを意味する。そのため、教育というだけで様々なことを場面を指すが、この小論文では主に子供たちが受ける教育、すなわち、学校教育に焦点をあてて論じる。
日本に住む子供たちのほとんどは、小学校や中学校などに通うことで他国(特に発展途上国)と比べ比較的、教育を受ける機会は保障されている。これは、義務教育などの制度が整備されているからであるといえる。
それに対し、発展途上国では未だに、多くの子どもたちに十分な教育を受ける機会が与えられていない。例えば、発展途上国のカンボジアでは内戦の影響により教育環境が破壊され、15年ほど前までは小学校もなかったのである。近年では、大きな進歩があり発展途上国の初等教育就学率は90%を超えているが、中等教育・高等教育の就学率に関しては課題が多くの課題が残っている。
このように、日本と発展途上国の実態には、国の制度や紛争などの「教育」を取り巻く環境が大きく関わっている。
では、教育を受ける主体となる子供たちは、それぞれの環境の下で教育をどのように捉えているのだろうか。
初めに日本の子どもたちが学校教育をどのように捉えているか考えてみる。前述のように、日本には義務教育制度などによって子どもたちが教育を受ける機会が保障されている。そのためか、日本の子どもたちは学校に通えることや勉強ができることが「当たり前」であると思っている子供が多いと考える。私自身もそうであったように、時には仮病を使って学校にいくことをサボる子供もいる。
次に今回のオンライン研修を通して学んだカンボジアを例に発展途上国の子どもたちについて考えてみる。カンボジアは法制度や過去の内戦の関係で、子どもたちの中には家族を支えるため、学校に行かずに仕事をしいる子供もいる。そのため、学校は彼らや彼女たちにとって「有り難い」ものとしてとらえている。
このように、それぞれの国の子どもたちがもつ学校教育への考え方は大きく違っている。
私は今回のオンライン研修で実際にカンボジアの子どもたちに日本語を教える中で、子どもたちの勉強に対する、貪欲さに驚かされた。例えば、ボランティア研修用のマニュアルにはないことを質問してくれたり、教えている最中に他の場所にいた子どもが混ざって一緒に会話をしたりすることもあった。この経験から、カンボジアの子どもたちにとって勉強ができる機会は貴重なものであると身をもって感じた。
教育を受ける機会があることで、将来の仕事の幅が広がり、お金を稼ぐことができる。そのお金で食料を買い、家族を養うことができる。この私たちにとって当たり前のことからも分かるように、教育は生活をするうえで欠かせないものである。その教育が脅かされている発展途上国の子どもたちは、勉強ができる数少ないチャンスを有意義なものにしようと毎日を過ごしている。
私は、教育を当たり前だと思っている人こそ、これまでに述べてきたような現状を知るべきだと考える。まずはこの現状を知ること、そして、知ったことを周りに伝えることが「質の高い教育をみんなに」を達成する第一歩だと考えるからだ。
現在、私は大学に通っており、たびたび自分の意見を発表できる機会がある。そのため、この機会を活かして、教育は「当たり前」ではなく「有り難い」ものであることを伝えたい。また、多くの人にこの現状を知ってもらい、どうすれば質の高い教育をみんなに提きるようになるかを考え、考えたことを発信していこうと思う。
大変満足
コロナ下でもできるボランティア活動を探していた、SDGsについて学びたい、人の役に立ちたい、将来の進路に活かしたい、社会問題に興味がある
すごく良かった!
視野が広がった!
勉強になった!
いい経験になった!
SDGsについて行動したくなった!
SDGsを自分ゴトとして捉えられるようになった!
LIVEボランティアが楽しかった!
私自身が将来、発展途上国の教育の普及といった国際教育分野の職に就きたいと考えており、本プログラムは私の夢を実現させるために大いに役に立つと考えたため。また、高校生の時にSDGsというワードを知り、これを達成するために少しでも力になりたいと考えたため。
このボランティアに参加する前と後とでは、SDGsに対する考え方が変わりや発展途上国に関する知識が深まったと思う。もともと、SDGsに関するボランティアがしたいと考えて本プログラムに参加したが今後はオンライン研修だけでなく実際に現地を訪れて自分の目で現地の現状を確かめたいと思う。
大学でもSDGsに関連する学習に力を入れ、今回学んだことを糧に更に学びを深めたいと思います。また、周りの人にもSDGsを広める活動を行っていきたい。
カンボジアの子どもたちは、みんな積極的です!勢いに負けないように頑張ってください!!