『飢餓の解消こそ、未来の姿』
腹が減っては戦はできぬ。世界には飢餓で苦しんでいる人が7億9500人いる。そのほとんどの人が1日200円以下で暮らしている。私にとって200円は自販機でジュースを1本買ったり、昼休みに売店でパンを1つ買うたびに払っている額だ。また、私が小学生の頃に少ないと不満を持っていたお小遣いの500円よりも300円安い額でもある。事実、私と同じように途上国で飢餓に苦しむ人たちにとっても200円はとても少ないので食べ物、綺麗な水、医療や教育を充分に得られずにいる。この飢餓や栄養失調へと向かうシナリオを書き換えるには何が必要で、豊かな生活を送る日本人の一人として何ができるのかを考えていきたい。
飢餓にはSDGs特有の相互の依存関係を持った問題の連関が起きている。食事ができないことで免疫力は低下し、授業は空腹で集中して取り組めないため基礎学力が身に付かなくなりろくな仕事に就けず、日銭すら満足に稼げない悪循環に陥る。この悪循環を断ち切るには三つの事が必要だ。
一つ目は、食料を確保する事。日本では年間632万トンの売れ残りや食べ残しが廃棄されている。これは世界の1年間の食糧支援の量の2倍だ。私たちは好き嫌いや買いすぎで簡単に食材を廃棄してしまうが、それらを適切に処理すれば貧しい人の2年間の暮らしを支えることに繋がる。例えば。私がぽらぷらのSDGs研修を通して始めた賞味期限が迫って陳列棚の前列に置かれている商品をあえて買う事だ。多くの人は古い商品に対して質が悪いとか偏見をもっているため仕入れられたばっかりの陳列棚の奥の方にある商品を手に取る。どちらも味と見た目は変わらないのにだ。私たちが賞味期限の迫った商品を買うことは直接的に飢餓を苦しむ人を救う事にはならないが、食材の無駄を省く、必要な場所に必要な量だけ届けるという考え方に対して個人で行動を始められる点において有意義なものであるはずだ。
2つ目は教育を受けられる事だ。国際社会の働きかけにより過去数十年で途上国の初等教育就学率は90%を超えた。だが中等・高等教育に関してはまだ少なく、15歳以上で読み書きのできない人は世界に7億人いるのが実情であり、その約3分の2が女性だ。カンボジアのように都市と農村部で貧富の差が広がっていることも教員不足や校舎不足を引き起こし教育環境を整えずらい要因としてある。だからこそ私が参加した日本語ボランティアのように教育環境をつくる活動に参加するのが有効だ。1人の力で変えられないの時はコミュニティーとして動いてみるのだ。ボランティアで関わった現地のサン先生はこう言っていた。「日本語を学ぶことで観光名所でのガイドなどいい仕事につけ、子供たちの未来が広がる。」と。教育を受けられる事で正式な雇用を勝ち取り、生活の基盤を手に入れることができる。
3つ目は医療を受けられる事。飢餓に苦しむ人たちは低賃金な仕事に従事するため、衛生環境の悪い場所にいることに加え免疫力が下がっているので病気にかかりやすい。世界には、5歳の誕生日を迎えるまでに亡くなる子供が10人に1人いる。病気で収入が減ったそもそも貧しい人たちに医療費は重くのしかかり、金を借りて医療を受ける事もあるようだが返済しないといけないため、結果的に金が底を尽き病気や飢餓で死亡しやすくなるのだ。皆んなが必要な時に医療を受けられる事が必要だ。
このような悪循環を断ち切るには、やはり食事が必要だと思う。食事から教育へ、学んだ事が仕事につながり、収入を安定させ食事を買ったり医療を受ける元手になる。そして僕たちはこのサイクルを実現するために飽食をやめるべきだ。