『SDGsへの疑問』
私はSDGsについて学校で話題に上がったことをきっかけにして新聞を読んだり、学校の人と話し合ったりぼらぷらで学んだりとたくさんのことを知った。その中で私はSDGsの17番の目標の日本語だけでなく英語も理解しようと対比訳を調べてみた。その中で一つ疑問に思ったことがある。それはSDGsの8番の「働きがいも経済成長も」という目標についてで、私はこの目標の日本語訳に違和感を覚えたのだ。
「働きがいも経済成長も」の英語表現は、“decent work an economic growth”である。
Economic growthとは経済成長という意味でここに関してはまちがっていない。しかしdecent workのdecentとは「きちんとした、まともな」という意味であった。つまりdecent workとはまともな=人間らしい仕事という意味になるだろう。実際、国際労働機関のサイトでは「働きがいのある人間らしい仕事」という表現をしている。しかし、日本のSDGsの目標では、「人間らしい」というフレーズが省略されて、働きがいのある仕事だけになっているがこれは大きな問題ではないだろうか。なぜなら、「人間らしい仕事」という言葉には、一生懸命働いても十分収入が得られない人の生活を向上させるという目的があり、労働時間、賃金、休日の日数、労働内容などが人間の尊厳と健康を損なうものなく、人間らしい生活を営むことができるということである。「人間らしい」という言葉が省略されてしまうとこの内容が表に出ないため、労働時間、賃金などへの注意が払われなくなる恐れがあり、働き甲斐という労働の大切さばかりが強調されているような気がするのだ。実際、これらの項目に関する日本の現状を調べた際に、事実上労働時間の上限が定められていないこと、最低賃金がほかの先進国よりも少ないことや有休休暇の未取得が多いことなどが分かった。また、非正規社員は年々増え続けていて、「収入が増えずに働いても十分な収入が得られない」という問題は多くの貧困の国だけの問題でもなくなってきている。
このように「働きがい」だけに偏った目標は企業にとって良いことでも働く人にとっては不十分であり、「人間らしい仕事」という言葉を欠かすことはできないのではないだろうか。
以上のことから私はSDGsの目標の8番の言葉を正しく訳し、国際労働機関の言う「働きがいのある人間らしい仕事」にするべきだと考える。
このように大切な言葉がどこかでなくなってしまっているのは企業やSDGsを推進している人たちがSDGsの純粋な目標を、何とかできそうなこと、企業の目的に沿ったものにすり替えてしまっているからではないかと私は思う。なぜなら、最近の世の中は高い立場の人たちが社会を動かしていて、そのような人たちの考えばかり反映されていると感じるからである。SDGsのもともとの目標は「誰一人取り残さない持続可能な開発目標」である。本来の意味でのSDGsの目標はとてもいいものだ。
その目標のため、高い立場の人は自分たちの利益を優先して社会を動かすということではなく、社会に属する一人一人の立場に立ってその人たちの意見も踏まえたうえで本来のSDGsの目的を真摯に、真正面から受け止めて解決していこうという姿勢が必要だろう。一方で、社会を動かせる地位にはない私たちも、本来の意味でのSDGsの問題を権力者や企業にあかせるのではなく、一人一人が当事者として本来の意味を正しくとらえて判断し、行動することが大事で、その二つのバランスがよくそろうことで本来の意味のSDGsが実現できる社会になると考える。