『私たちの当たり前を世界共通認識へとするために』
普段私たちは日々当たり前のように学校へと通っている。私たちはその当たり前に疑問を持ったことがあるだろうか。世界だけでなく日本にも学校へ行きたくても行けない子供たちは数え切れないほどいる。学校に行くことのできない子供たちが数多くいることに対し、私は学校に行きたいと思っている子供たちが全員学校に行けるようにしなければならないと思った。
学校に行く理由は何か、と聞かれたら高校生である私は大学へ行くため、また“行くことが当たり前だと思っているから”と述べるだろう。きっと同じような考えを持っている人は多くいると思う。当たり前に学校へ行くことができている私たちは、学校へ行くこと、勉強をすることの理由を忘れてしまっているのでないだろうか。しかし、日本に義務教育という制度がある限りそう思ってしまうことは必然であるとも考えられる
では学校に行けない子供たちはどうだろうか。なぜ学校へ行きたい、勉強をしたいと思うのだろうか。それは私たちが普段当たり前だと思っていることを同じように当たり前と思えるようになりたいからだと思う。文字の読み書き、計算能力、思考力など社会に出て働くために必要な能力、私たちが義務教育のおかげで当たり前に備わっている能力を学校に行けない子供たちは持っていないのだ。
学校に行けない子供たちが多く存在する理由は家庭の金銭的な理由、国が戦争をしているなどさまざまである。そんな子供たちが学校に行ける方法はないか考えてみた。まず、すべての子供たちが学校に通うためには国が子供たちの権利を認めて義務教育制度を設けることが至上命題である。お金がなくても戦争をしていても、子供に学校に行くことを義務付ければ絶対に勉強をすることができると思う。
しかし、それができないから学校へ行けない子供たちが多く存在しているのである。学校へ行けない子供たちが数多くいる発展途上国は、全員に学があればもっと発展するのではないだろうか。子供たちに勉強する場を設けることがその国の発展につながると私は思う。
世界中の人たち全員が学校に行くことができて基礎教養があれば、私たちが日々認識している当たり前が世界共通認識になるだろう。そうすれば途上国の発展も望めるしメリットしかない。一刻も速く世界中の子供たちが当たり前のように学校に行ける日々が来ることを望んでいるしそのために私ができることは精一杯やっていこうと思った。