[ぼらぷらSDGs小論文]

わたしのSDGsアクション

『情報を身近に直接得る』

小論文

『情報を身近に直接得る』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

私は今年の夏休みに学校のプログラムでフィリピンのセブ島に1ヶ月留学に行った。その際、実際にスラムエリアを見たり、スラムエリアに住んでいる子どもやあまり裕福ではない子どもと交流をした。その経験から、貧困について考えていこうと思う。

まず、私が初めてセブ島の町を見て感じたことは戸惑いだった。狭い一つのエリアの中に都会のような大きい建物が建っている。だが、ふと目をずらすとそこには今にも倒れそうな小さな家が立っている。この狭い空間の中で貧富の差を感じさせられた。しばらくして、ショッピングモールに出かける機会があった。私たちは基本的にバス移動だった。その時、女の人たちが赤ちゃんなどを連れてタオルなどを売る為に窓に向かって叫んできた。中には子供を指差して人情で買ってくれと訴えている女性もいた。また、バスから降り移動しようとすると、たくさんのアクセサリーを持った男の人達が近ずいてきて似合う似合うと言って買わせるような人、小さな子供たちが手にいっぱいのろうそくを持ち売ろうと必死に日本語を話すシーンも目にした。日本であまり目にしない光景だったからこそ、身をもって貧困を感じた。

たが、私が1番に驚いたことは子供たちの笑顔だった。私は貧しい暮らしをしている子供たちはきっと私たちのようにいい服を着て、時計をつけているような人間が来たらにらんで見てくるだろう、と思っていた。だが、スラムエリアに住んでいる子も親がいない子もみなとても笑顔だった。もし、私が彼らと同じ状況ならば正直決して彼らのように笑うことはできないと思った。この経験から私は彼らを色眼鏡で見てしまっていらのではないかと考えた。彼らは本当に貧しいだろうし、きっとやりたいことを出来ていない子も多いだろう。だが、私たちは彼らを可哀想だと思い同情の目で彼らを見たり、同情で買い物をしたり、寄付したりしているだけではないだろうか。確かに彼らから買い物をしたり、寄付をすることは彼らを助けることに繋がるだろう。だが、買い物は売っている子どもの他に他の人間がおり売れてもすべての金額が貰える訳ではないという話を聞いた。それでは今日明日のご飯が食べれるというだけで、将来的に考えれば彼らを貧困から救う方法にはならない。また、募金は遠くから簡単に彼らを支援できる方法ではあるが、結局は国を跨ぐ際に半額ほどになってしまうらしい。それでは彼らに寄付というよりは国に寄付しているようなものだ。
そこで私が強く思った事は彼らが本当に欲しているものはなんだろうか、私たちは自分たちの理想を突きつけていないだろうか、という事だ。私たちは彼らの事をよく知らないまま善意の気持ちだけで寄付しているのではないだろうか。私たちと彼らは文化も違えば生活も違う。私たちにとって生活の中にあって当たり前なものも、彼らからすれば必要のないものかもしれない。彼らを本当に貧困から救い出したいと考えるのならば、彼ら自身から必要なものを聞き届け、また長い目で見れば働く場を提供することが1番いい。

私には将来の夢がある。それは世界で活躍する美容師になることだ。美容師になり、いろいろな国に行きそこで出会う貧困で苦しんでいる人と関わり必要なものを聞く。そして、それを伝えるようなサイトを作り掲示して送ってもらう、このような仲介をしたい。そして、私自身も働きながらお金を貯めて、美容に関わる会社や、ホテルなどの経営をして、貧しい人が働ける職場をつくる。この2つが私の夢だ。私は本当に貧困で苦しんでいる人を救いたい。その為にまずは誰よりも努力し、たくさんの技術を持つ美容師になる。

前へ  |  次へ

一覧に戻る