[ぼらぷらSDGs小論文]

わたしのSDGsアクション

『想像と現実』

小論文

『想像と現実』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

 バスから降りたら、ボロボロになった服を着て、目を輝かせている子供たちに囲まれた。
 これはセブ島留学のプログラムでスラム街を訪れた時の経験だ。そのプログラムではスラム街にある住宅地に行った。バスがついた時から違和感に気づいたのか、スラム街に住む子供たちがバスの周りにたくさん集まってきた。その子供たちは汚い洋服やサイズがあっていないサンダルを身に纏っていた。
 このような現状は読んだだけでも想像がつくだろう。今はTVや携帯によって視聴することが簡単にできる。
 しかし、その想像には注意が必要だと感じた。自分も行く前まではスラムと言われると毎日苦しい生活が続き、かわいそうな生活をしていると想像していた。実際、スラムに行く前も先生からポケットには何も入れてはいけない、かばんも持っていたら危険だと言われていた。そして、それを聞いただけでそこに住む人たちは平気で物を盗んでくる危ない人なんだと思い込んでいた。しかし、それは自分の想像に過ぎなかった。実際に行ってみると、日本ほどではないが想像よりも綺麗な環境で雨風から守られている生活をしていた。盗む行為なども一切していなかった。
 私はそのプログラムを通して“貧困とは何か?“という疑問が生まれた。今回行った場所は貧困と言われる地域だが、貧困と呼ぶのは実際にその現場を見ていない人や、映像や聞いた話だけでその人たちを貧困の人々と捉えていると考えた。そのことから私はSDGs1番の“貧困をなくそう”を解決することは難しいと考えた。なぜなら、スラム街に住む人々は自分達を貧困で苦しんでいると思っていないと感じたからだ。特に子供は、同じ地域に住む子とコミュニティを作り、楽しそうに笑っていた。だから、その地域の数人にお金を支援して、もっと衛生環境が良い地域に住めるとしても彼らにとってそれは嬉しくないと思う。彼らは彼らのコミュニティを作り、そこまで高い水準を求めず生活している。確かにフィリピン内のモールを訪れた際、裕福な家庭で育っている子供を見て、格差を感じた。しかし、スラムに住む人々、特に子供は笑顔に溢れていて、あの場所で生活していることや同じ場所に住む友達と遊ぶことが楽しそうに見えた。
 このような経験から、人々は自分より低い水準の生活などの悪い側面だけを見てかわいそうという感情を持ち、勝手に貧困層と呼んでいる。
 だから、私たちができることは海外の貧困地域などに訪れるプログラムに参加し、実際の現状を見ることだと思う。実際の現状を見て、思い込みを捨て、できることは何かを考え、現状を人に伝えていくことが大切だと思う。これが私が考える持続可能な社会を作り上げていくためにできることだ。
 しかし、貧困地域の人々は支援が必要ではないと考えないでほしい。実際にスラム街に住む子供は学校に通えていない子もいると聞いた。フィリピンの学校は義務教育過程の時は学費は必要はないが、制服代や通学代のお金がなく学校に通えていないと言うのだ。また、親から暴力を振るわれたり、兄弟が多く育てる余裕がなく親に捨てられたと言う子供も少なくない。違うプログラムでアニャズホームという食事提供をしている場所を訪れた際、日本からの支援によって学校に通えているという子供が何人もいた。
私がこのプログラムを通して、一番感じたことは子供の笑顔は素晴らしいということだ。スラムに住む子供も、裕福な家庭で過ごす子供も目を輝かせて笑っていた。このように、実際に訪れることで日本にいるだけではできない考えや学びがある。だから、実際に行くことが大切だと考える。

 

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