『命の水を守るためのSDGs』
私は日頃から、世界中のニュースを発信してるポッドキャストを聞いている。その中でついこの間耳にしたのは、地球の水不足を取りあげていた、国連が約40年ぶりに開いた「国連水会議」についてのニュースであった。
最近は「持続可能」というと、飢餓や貧困、また、新しいクリーンなエネルギーの模索などの温暖化に対しての政策などがよく話題にあがる。そのせいか、恥ずかしながら「世界の水不足」という言葉が聞きなれないもののように思えた。ユニセフなどの団体が飲み水にアクセスできない人々に綺麗な水を提供していることはもちろん知っていたが、それはその地域にとどまる問題だと勝手に思い込んでいて、水が地球規模で不足するものであるという実感はそこまではなかった。世界的な問題としての水不足は、重大な問題であるにも関わらず、他と比べてあまり報道されていないように思える。世界では約20億もの人が安全な水を確保できていない。この現状から打開するためにもいち早く行動しなければならない。
第一に、水不足の原因として、人口増加、汚染、水の過剰消費などが挙げられる。しかし、「水不足」とは言っても、水自体は世界の人口を支えるための量はあるとされている。その上で水が不足している現状は、私たちが本来足りているはずの水を無駄遣いしていることを反映している。その結果、アフリカなどの水不足に影響されやすい地域が一番に被害に遭っているのだ。
上記の事柄から水の問題は、食糧不足の問題と深い類似性がある。食糧不足は多くの食料ロスによって生じる問題であるからだ。食品ロスの問題は、必要以上のものは買ったり、作ったりしないことや、食べる予定でない食料をフードバンクに寄付することなど、私たちも消費者として行動できることはある。しかし、水の問題は地球規模の循環の一部であるため、その解決策もそれなりの規模でないといけないように感じる。それは、多くの水を使っている工業や家畜農業の水利用の改善あったり、はたまた高度な技術を要する淡水化の機械の開発と使用であったりである。
そうなると、高校生の私でもできることといえば、限られたものになる。それはシンプルに節水であったり、情報発信をすることだ。日本では、蛇口一つひねれば綺麗な水が飲めるため、水不足とはあまり縁のない国のようである。しかし、日本人が消費している生産物の多くは輸入されているものであり、それは他国の水を使用してつくられたものだ。また、日本人はお風呂に入る文化などがあり、他国よりも一人当たりの水の使用量が多くなっている。それにもかかわらず、水不足は家庭内で意識されていることは少なく、たとえ節水したとしても、それは多くの場合水道代を下げる目的であることが多い。だからこそ、情報発信で事態の緊急性を伝えることの重要さがわかる。日本人の生活は他国への輸出入の上に成り立っているからこそ、今の生活にまだ支障がない、という理由でこの現状を無視してはならない。国際社会の一員として、この問題に深く関わりながら、誰もが「命の水」を入手できる世界になるよう貢献するべきである。