[ぼらぷらSDGs小論文]

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わたしのSDGsアクション

『「当たり前」の比較』

小論文

『「当たり前」の比較』

(800~1500字でまとめていただく様式です。)

私たちは学校に通い、日々学ぶことが出来る環境を当たり前だと考えすぎではないだろうか。私は他国の教育環境をさらに知るべきだと考える。
日本における学校教育は、六歳から十五歳までの時期は義務教育である。確かに、日本では義務教育を高い割合で果たしている。しかし他国はどうだろうか。私たちが想像する学校教育は決して当たり前ではないことに気がつく。例えばカンボジアだ。カンボジアは日本と同じ九年間の義務教育が、憲法に規定されている。それにもかかわらず、小学校の就学率は約六十九パーセント、中学生は約十七パーセントだ。この数字から、学校に行きたくても行くことができない子がいると確認できる。私は二つの理由があると考える。1つ目は経済的に学校へ通うことを諦めざるおえない状況にいる人がいることだ。義務教育のため授業料は無償であるが、制服や学用品は家庭の自己負担になるからである。経済的に厳しい家庭では学校に通うことより家の手伝いをする方を優先するのである。2つ目は、学校の環境がまだ整っていないからである。これは歴史と深く関わりがある。およそ四十年前、ポル・ポト政権であった時、二十世紀最大とも言われる大量虐殺があった。ポル・ポトの政策に対して不満を言わせないために学校の先生や、医者などの知識人はまず最初に殺害された。そして、平等を徹底させたポル・ポトは学校や病院といった施設も全て閉鎖させた。ポル・ポト政権が終わった現在でも、学校や教員の不足が問題となっている。学校の数を比較すると都市部には整備された私立学校があるのに対し、農村部では近くに学校がなく格差が生まれる。カンボジアに限らず、学校に通いたくても通うことができないという問題には課題が残されいる。
私はSDGsを学校で学んできたが、学校に通えない同年代の子がいるという事実にどこか他人事になっていた。しかし、ぼらぷらに参加しその国や地域について学ぶとら学校という存在が当たり前では無いことに気がついた。また実際に現地へ行くと、学校までの道がでこぼこしていたり、教室に電球がなく、壁もないところもあった。学習する際に天候に左右されやすい。また、教材には限りがあり、大切に扱われている。このように、事前に学び、足を運ぶとわかることが沢山ある。まずはその国の教育環境について知ることが1番である。そして理解が深まったらボランティアに参加したり、寄付をするとより考えが深まる。また一人の意識を周りに共有することも大事だ。一人の意識が変化することは、全体の意識を改める機会にもなる。
したがって、国や人種、裕福な人、貧しい人など関係なく一人一人に学校に通う義務がある。当たり前を当たり前と思い込まず、他の国と比較して、現状を知ることが大事である。

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