『子供達の未来』
「あなた嘘つき」といきなりマーケット売り場で罵られた。私達はボランティアに来ただけなのにそこまで言わなくてもいいのではないかと思った。
私達はカンボジアにボランティアをしにトンレアップの小学校に訪れた。子供達はとても明るく人懐っこく笑顔が絶えない子供達だった。実際、子供達に授業を教えてみると、積極的に授業に参加し学びたいという意志が伝わった。私達も、その意志に答えようと日本語・英語を丁寧に教えた。また子供達が少しでも良い職に就けられるようにと考えながら行った。子供達を見てみると服・ノート・ペン・バッグ等ほとんどが日本製品の物ばかりだった。教科書も子供達は一つ一つ自分の物を持っているのではなく学校から付与され子供達で使い回しているようだった。また小学校に通える期間が6日間しかない子供・学校に行くことが出来ず水牛の仕事で働いている子供もいた。私が当たり前だと思っていたことに当たり前ではないと感じて私はどれほど恵まれているのだろうと感じた。貧困状況は小学校だけでなく、マーケット・道路・公園でも実際に目で確かめることが出来た。マーケットではあり得ないぐらいの価格で売ろうとしたり買うまで手を離さない状況だった。道路では戦争で足を失ったからお金を請求し騙そうとし、公園では寝て過ごしている人が多くいた。自分が日本にいて、そういう状況を目で確かめたことがなかったのでとても驚きを感じた。
今、子供達は純粋に日本語を学びたいという意志が伝わってくるが大人になるにつれてクメール語以外の日本語・英語を使って人を区別し高額の値で売ってしまうのが今の現状だ。果たして私達は寄付だけすればいいのか疑問に思った。私は寄付だけすれば良いのは間違っていると思った。SDGsで考えると1の貧困をなくそうと、4の質のよい教育をみんなに、が今のカンボジアに1番足りないと感じた。まずは、私は寄付より先に今の現状を知ってもらうことが大切だと思った。私の学校で10人にカンボジアについて知っている事を聞いてみたが、まず、国名・場所すら知っている人がいなかった。またカンボジアと言うと他の人は他の国に行くのに、どうしてカンボジアに行くのかという質問が多かった。国名・場所さえ知らなければカンボジアに寄付をするという案は浮かばないし、SDGsの解決策にもならないからである。例として教育以外での国際協力である文化遺産修復はフランス人が始めて110年以上経ってやっとカンボジア人主導の活動が始まったそうだ。人を育てることは、とても大変なことで、ただ寄付だけしてしまうと人は育っていかないしカンボジアの未来も育たないと思った。カンボジア人は素朴で純粋なため、あらゆる事を受け入れてくれるがカンボジア人の能力を最大限に引き出すためには外側からどのように接することが支援や援助に繋がっていくのか考えるべきだと思った。子供達にも援助や支援を工夫すべきで寄付ではなく教育こそが未来に向けての子供達の笑顔になると思うので考え方を変えるべきだと感じた。
私は最初は留学してみたいという気持ちはあったが、発展途上国に行ってみたいという視野はなかった。偶然見つけた学校のポスターに惹かれ行ってみようと思っただけだ。実際に行ってみて今まで経験が出来ない貴重な体験ができ、自分が知らなかった現状を目で確かめることが出来た。また、自分を成長させ視野を広げることが出来た。私達がこれからすべき事はカンボジアで今後どのように支援を行って行けば良いのか・知ってもらうにはどうしたら良いのか私は考えたいと思った。