私が今回、未来型海外ボランティアを通して一番学んだことは、何かを教える側と学ぶ側が対等な関係性をもつ重要性だ。当然ボランティアを始める前から、すべての人間は互いに対等(平等)であるべきという常識的な考えはもっていた。ただ、これまで実際にカンボジアを含む途上国を訪れた経験が無い私にとっては、SDGsの達成によって改善や解決を目指す社会問題は他人事に近いもので、「子どもたちがいるカンボジアは途上国、自分がいる日本は先進国」という先入観も頭のどこか片隅にあった。
こうした状況のまま臨んだ初めての授業ボランティア(日本語)だったが、非常に刺激的だった。子どもたちが日本語を一生懸命使って学ぼうとする姿がオンライン上であるにも関わらず、ひしひしと伝わってきたからだ。新型コロナウイルス感染拡大の影響で休校中のなか参加した女子児童3人は、音が割れるほど大きな声で返事や発言をし、笑顔で次々と手を挙げてくれた。子どもたちの「学びたい」アピールによって、少し緊張していた私は励まされ、助けられると同時に、しっかり応えられるように教えなければという使命感が生まれた。これによって、その後の授業や交流イベントでは、より子どもたちへのわかりやすさを重視しようと考えた。言葉はゆっくりはっきり丁寧に話し、子どもたちがついてこれているかどうかを確認することを意識した。日本語や英語以外のどんな事でも、本来は教える側と学ぶ側に上下関係はなく、むしろどちらも日々勉強中あるいは成長中という意味で同じ立場にいる。同じレベルの熱量で相手に向き合う必要性も出てくる。この状態をつくることこそ、対等な関係性の第一歩になるのではないか。
SDGsの17ゴールは1人で達成することはできないものと考えた際に、対等や平等な人間関係はすべての基盤になるといえる。授業ボランティアでいえば、日本語や英語といった勉強や活動の中身よりも、そもそもそれを教えたい教師と学びたい子どもが両方存在し、対等な関係性にあることが不可欠だ。万が一、どちらかが相手をないがしろにしたり、さげすんだり、自分のペースややり方を無理矢理押しつけたりすれば、プラスになることは何も生まれない。そう対等性を学んだ私は、今後のアクションプランとして、大学で履修している教職の授業で活かしていきたいと考える。もともと人前に立って長い時間話したり、指示を出して場をつくったりすることが苦手な私は、模擬授業では教師がすべきことだけで手一杯になってしまい、生徒の言動に対する臨機応変さに欠ける部分があるからだ。授業は決して教師独りよがりで進めるものではなく、生徒と一緒に対等な関係性のもとで作り上げるものと心に留めておきたい。
満足
留学に行くはずだったのにいけなくなった、コロナ下でもできるボランティア活動を探していた、社会問題に興味がある
すごく良かった!
いい経験になった!
途上国に関心があってボランティアをしたかったものの、新型コロナウイルスの影響で渡航ができないため。大学で教職課程も履修しているので、教える経験にもなると考えた。
オンライン上で、子どもたちとここまでしっかりとしたコミュニケーションがとれるとは思ってもみなかった。音が割れるほど大きな声で返事や発言をしたり、呼びかける前から次々と手を挙げたり、笑顔で楽しそうにしていたるする様子がはっきりとわかり、非常に温かい気持ちになった。とくに授業や交流イベントは日本人参加者が私一人だったため、一人で司会進行を務めることができ、より貴重な機会になった。
学ぶ楽しさを伝えてくれた子どもたちのおかげで、教える楽しさを実感することができた。そのため、大学の教職の授業で生徒と一緒に授業をつくるような姿勢をもつことに活かしたい。
授業ボランティアは想像以上に刺激的で学ぶことがたくさんあります。迷っている前に行動を!(自戒も込めて)