私は今回のカンボジアのボランティア活動を通し何か一種の複雑な感情を覚えた。計3回行った、カンボジアの子供たちとの交流の時間はとても楽しく、普段日本で住んでる以上は絶対に経験できないようなことばかりでとても有意義な時間だった。ただ自分はこの交流でカンボジアの人たちに対してこちら側が潜在的に見下してしまっているこのように感じる場面が多々あった。例えば、班での意見交換の場では黒板があったや勉強できる道具が一式あった、ほかにはファッションとして満足ができるぐらいの服があったなど自分達はあって当たり前だけどカンボジアにはなく、そのような人は絶対自分達より不幸だ勝手に自分含め殆どの人が思っていたと思う。ただ実際今回のカンボジアのボランティア活動を経験した結果、言語の違いで歯車が噛み合わないこともあったが、自分達と同じくらいの物の充実さであったり、生活水準もあった。さらには自分から見て勝手に日本の人々よりも楽しそうで幸せな日々を過ごしているそのように思うことが多々あった。このように国ごとに文化の違いは必ずあるものでこのような文化の違いを幸せという尺度では決して図れないこのように本能的に発展途上国であるカンボジアを見下してしまっているような節があると感じた。そこで私はカンボジアに対して知識が貧弱だったにも関わらず、過ごしにくい国だというレッテルを張ってしまっていたように、なぜ人々は何事にも偏見を持ってしまっているのか疑問に思い探求し続けた結果このような回答になった。
偏見とは、自分に危害を及ぼす恐れのある他者に対して抱くものであり、他者が自分にとって危険だと感じ遠ざけようとする意識が強く働き、相手を避けたり、隔離したり、迫害したりしてしまうことつまり未知の存在に対する、恐怖心から始まっているということが分かった。私は偏見を無くすにはまず対象に対して近づいてみることだと思った。近づいてみることで、今まで自分が勝手に抱いていたイメージが思い込みであることに気づき、
正しい情報をもって考えることで自分が思い込んでいた偏見は少しずつ溶けていき本当の世界を知ることができるような気がした。
私は偏見を持たずに物事を考えることを今後の課題としたい。
満足
コロナ下でもできるボランティア活動を探していた、人の役に立ちたい、将来の進路に活かしたい、子どもたちと交流がしたい
すごく良かった!
視野が広がった!
いい経験になった!
絶対やるべき!
色んな国の人と交流を持ちたいから。
自分自身を成長させることができ将来の職業の幅が広がると思ったから。
・子供達が可愛かった
・現地の子供たちが意外と日本語が喋れていて驚いた。
・カンボジアの新たな一面を知ることが出来た。
偏見を持たずに生きていく。
楽しいです