『「当たり前」を疑う』
近年知名度が上がってきているSDGsは目標とする17つのゴールを掲げており、うち一つに「つくる責任つかう責任」というものがあります。これは衣料や食料、エネルギーなどの色々な分野の消費と生産のパターンを確保して、資源をより効率良く活用できる経済の実現を目指すものです。私は、この「つくる責任つかう責任」に着目し、現在世界的問題に発展している食品ロスについて、なぜこのような現状になってしまっているのか、この現状を打破する為にはどうすればいいのかについて考えました。
まず、私は今このような状態に陥っていることは一人一人の意識が低いことにあると考えます。なぜなら、食品ロスの原因の根本にいる人々は基本食に不自由しておらず、食料の大切さを根本から理解していないからです。また、食品ロスレベルの問題になってくると私達は身近に感じることができなくなり、自分が少し残すくらいで世界的問題に発展したりはしないだろう、という考えにどうしても至ってしまうのです。そうしてこのような考えをもった人々が集まることにより規模の大きい問題となってしまったのです。実際、私自身も食品ロスに悪い意味で貢献してしまった記憶が何度かあります。思い返してみると、もちろんやってしまった時は罪悪感はありましたが、これが世界的問題の原因になるとは到底思いもしていませんでした。しかしよく考えてみると、私達が「当たり前」だと思っている毎日満足のいく食事をとるということは、一部の貧困のために食料の確保が難しい人々にとっては当たり前ではないかもしれません。今まで食品ロスの要因となってきた人々が食の大切さを理解して食べ残しをしていなかったのなら、その分一体何人の人が救えたのだろうか。つまり私達は常にこれだけでなく他の物事についても「自分が思っている当たり前が他の人にとっても同じであるか」を疑うことが大切なのです。
よって、私は食の大切さを理解していない人がいることや、一人一人の意識が低いことによって引き起こされたこの食品ロスという世界的な問題を、常に「当たり前」かどうかを疑って生きていくことによって少しでも改善されていくのではと考えました。