カンボジア 教育ボランティアへの海外ボランティア
子どもにまた会いたい!
自分にできるかな、子どもたちと交流がしたい
もう一度行きたい
子どもと触れ合う機会が欲しいと思いました。少しでも子どもの役に立ち、その成長のサポートができればと思い、参加を決めました。日本語・英語の2つの外国語を学ぶのは大変だと思いますが、単語一つでも覚えてもらえれば嬉しいです。
子どもと触れ合いたいという思いはあっても、その機会は今までほとんどありませんでした。
どうやって接すればいいのだろう、何をすれば喜んでくれるのだろう。
自分に授業なんてできるんだろうか、教師の経験もない自分の言葉を子どもは聞いてくれるのだろうか。
そんな不安を抱えていました。
初めてのトンレアップ村は雨が降っていました。ぬかるんだ道を歩くとサンダルの隙間から泥が入ってきました。
高床式の素朴な木造の家、何にも繋がれていない牛や犬や鶏、日本とはまるで違う風景が目の前にありました。
テレビや写真でしか見たことのないような、これがカンボジアなんだと不思議な気持ちになりました。
赤土で整備された村の通りを牛とすれ違いながらしばらく歩き、草原に囲まれた小道を抜けると、小学校がありました。
後ろからそっと授業を見学すると、子どもたちの賑やかな声が聞こえてきました。
その日の午後から低学年を担当することとなりました。最初の2日間は授業はせず、丸つけなどのサポートから始まりました。
これが思った以上に大変でした。
単なる丸つけだと思っていると、子どもたちにはそれぞれのこだわりがありました。
大きな花丸がほしい子、小さな丸がほしい子、絵を書いてほしい子、ハートマークをつけてほしい子、それを考えずに勝手に丸をつけようとすると子どもに怒られてしまいました。
また、子どもそれぞれに丸をつけてほしい先生がいて、違う人が丸をつけようとすると「ノーまる!」(丸をつけないでとの意味)と言って拒否されてしまいます。
ノーまるの連続に心が折れて帰りたくなったこともありましたが、1日、2日経つと、丸をつけさせてくれる子どもが増えてきました。嬉しかったです。名前を呼ばれて丸をつけさせてくれることがこんなに嬉しいとは思いませんでした。
単純な人懐っこさではなく、どこかで心を開いてくれる瞬間を感じられるからこそ、感動も大きかったのだと思います。
ずっと何だお前みたいな顔でこちらを見ていた子どもがやっと笑ってくれた時の喜びや、授業を聞かずに遊んでいる子どもの横に座って、何度も言って聞かせて最後には一緒に英語のスペルを読んでくれた時の喜びは、格別なものでした。
初めてホワイトボードの前に立って授業をしたのは3日目でした。
ホワイトボードに単語を書いて、「これはなんですか?」と子どもたちに問いかけました。
無反応だったらどうしようと不安でしたが、「これは『サル』です!」と皆が元気よく答えてくれて、「書いてくれる人ー?」と問いかけると、「わたすぃー!」と大勢が手を挙げて、服や手を引っ張られてもみくちゃになりました。
普段はそっけなくて話してくれない子も、この時ばかりは指名されようとグイグイ来てくれます。
不安はいつの間にかどこかへ行って、子どもたちの積極性と元気さに圧倒されていました。
いろんな子ども達がいました。
休み時間になるといつも駆け寄ってきてくれる子、わざと名前を間違えて呼んで笑っている子、ささやくような声で単語を読む子、ノートを見ようとすると手で隠していたずらっぽく笑う子、雨漏りの水で髪を濡らして笑っている子、最前列でいつも寝ている子、弟の分までノートを書いてあげる子、なぜか水浸しになっている子、遊んでいるところを注意すると変顔をしてくる子、皆個性的でかわいい子ばかりでした。
日本に帰った今もその子達のことを思い出します。
今日で終わりだと告げた時、悲しそうな顔をして抱きついてくれた子がいました。最後に通った帰り道で、いつもの笑顔でハイタッチしてくれた子もいました。もっと長くこの子達と過ごしたいと思いました。
学校はもちろん、ステイ先の優しい人達とおいしい食事、近所の子ども達とも遊べたこと、全てが大切な思い出です。単に思い出で終わらせるにはあまりに惜しい素晴らしい体験でした。また会いに行きたいと思います。
子ども達の明るい笑顔と、村の人々ののんびりとした優しさに触れると、カンボジアは貧しくて日本は豊かだなんて一言では決めつけられなくなりました。何が必要な豊かさで、何が不必要なのかを考えて、自分にできることをしていきたいと思います。
そりゃもう
飲み水は沢山用意してくれるので心配無用です
会員様から頂いたメッセージは私達にとって何よりの励みになります!!
最初から最後までトラブル無く過ごすことができました。ありがとうございました。