カンボジア 教育ボランティアへの海外ボランティア
カンボジアには、熱と夢と、そして何より素敵な笑顔で溢れています!
忘れられない
私がこのボランティアに参加する理由は、自分の持っている力を少しでも国際社会の役に立てたいと考えたからです。
自分は国際社会のために何ができるか。そこで真っ先に思い浮かんだのが、教育でした。私は4月から公立の中学校の教員になります。そんな自分ができることは、勉強を教えることだ。カンボジアの子どもたちに勉強を教えることで、この国の将来に貢献したい。そう考えて、このボランティアへの参加を決意しました。
「”教育”って何だろう」前々から、そんなことをずっと考えていました。教育には、時間も手間もすごく掛かる、地道な作業です。そのくせ成果が必ずしも現れるとは限らないし、すごく不確かなものだとも思います。まるで農作業に似てるなぁ、と。
農作業はまず、畑を耕し種を蒔くことから始まります。思うに、今回僕たちがカンボジアでやってきたことも、そんな農業の下準備でした。
カンボジアで日本語と英語を教える意義。それは国民の約80%の人が農業に携わるこの国において、さらなる発展の可能性を広げることだと思います。カンボジアには日本をはじめ世界各国から観光客が訪れる。そして近年では日系企業の進出が著しい。その中で、カンボジアの人たちに日本語や英語を教えることは即ち、観光業や日系企業に就職して豊かになる、あるいは世界各国や日本から技術を取り入れて発展するための”種蒔き”なんだと思います。
この国の人たちには、熱意があります。それは、ボランティアで出会った子供たちを見ていて一番実感したことです。エンジニア・看護師・観光ガイド。子供たちは様々な夢を抱いて、勉強していました。短い間でしたが、そんな彼ら彼女らの可能性を広げるための活動に参加できたことを、誇りに思います。
僕たちは、種を蒔くことはできます。出た芽が枯れないよう支援することもできます。でも、もっと大事なことは、この国の人たちが自立すること、即ち自分の力で成長し、花を咲かせて身をつけることだと思います。いつかそんな日がくるように、心から願っています。
「何のために勉強するの?」と、日本の子供たちはよく言います。これはつまり、学ぶ意義や夢を見失ってるということだと思います。
一方でカンボジアの子供たちは、そんなことを疑う素振りなど一切見せず、懸命に学んでいます。それは、彼ら彼女らは熱意と夢に溢れ、何より自立することの大切さを知っているからだと思います。
日本の教育が失ってしまったもの。僕はそれをカンボジアで見つけました。日本に持ち帰って、子供たちに身を以って教えていきたいと思います。
継続しなけりゃ意味がない!
このボランティアは、駅伝みたいなものです。今までたくさんの人が繋いできた襷。次はあなたの番ですよ!