カンボジア 教育ボランティアへの海外ボランティア
あれほどに純粋無垢な笑顔を向けてくれる子供たちに出会えたことは私の一生の宝物になります。素晴らしい経験をさせてくれた彼らに感謝感謝!
素敵な出会い
昔から発展途上国の状況に興味があり、それをどうにか改善できないかと考えてきました。大学でもそれを勉強したいと思っています。そのためもともとボランティアに興味があり、困っている人がいて、それに自分が少しでも役に立てるならやってみたいと思っていました。なかなか勇気とタイミングがなくて参加したことがなかったのですが、大学生になって初めての長い夏休みを迎えるにあたって、有意義にすごしたいと思ったときにボランティアに参加することを決意しました。
現地に着いたときは電気がなくて真っ暗だし、夜も暑くて寝れないし、電波も繋がらないし、日本と全く違う生活・環境にとまどったし、日本の便利な生活が恋しくなったこともありました。でもそんな感情は一瞬だけでした。家にいても、学校にいても、学校の行き帰りでさえも子供たちがずっと話しかけてくれる環境はとても新鮮でした。そこで見せる純粋無垢な笑顔も、勉強してるときや困った時に手を差し伸べてくれるときの真面目な顔も日本にいては忘れてしまっていたように思える一途な表情でした。だからこそ私たちもなおいっそう全力で向き合ったし、心を動かされました。途上国支援に以前から興味のあった私ですが、考えを変えさせられたように思います。日本に比べたら明らかに不便なこの生活も、この環境だからこその村や人の暖かさに気づけました。一週間いる間に少しずつ覚えたクメール語で少しずつ会話もできるようになって、少しずついろんな子が話しかけてくれるようになって、お互いに名前も覚えて、遊びにさそってくれるようになって、手紙を書いてくれるようになって、少しずつ距離が近づくのが分かりました。だから、子供たちにもっとちゃんと外国語を学んで役に立たせてあげたいという思いがどんどん強くなっていったし、今でも別の教え方ができたかもしれないと考えてしまいます。みんなが覚えてくれていた「幸せなら手を叩こう」を一緒に歌ったときは本当に自分は幸せなところにいると実感して泣きそうになってしまうほどでした。たった一週間の出会いではありますが、最後の別れのときには、顔を見ただけで涙が溢れてくるほどに私の中で大切な存在になっていました。素晴らしい経験ではもちろんありますが、それよりもその素晴らしい経験をさせてくれた現地の人々との出会いに感謝の気持ちしかないし、彼らにはもう会えないかもしれないけれど、絶対に一生忘れられない出会いだったと心の底から言えます。次いつ戻ってくるのと少し悲しそうな顔で聞いてきた子どもたちを思い出すと今でも涙が出てきます。頭に焼き付いた彼らの笑顔が私の原動力になりました。この先また会えるかもわからないコムルー村の子供たちのために頑張ろうと思えるほどに心の支えになっています。
現地で実際に生活してみたからこそ、現地の生活を変えようとしないこと。と何度も事前学習のページに書いてあった理由がよくわかりました。もちろん日本と比べたら不便かもしれないけれど、それは不幸ではない。むしろその環境のおかげで彼らのような暖かい雰囲気があるのではないかと感じました。今では、もし学校への道が水没したって、単純に柵を作ってあげることが支援ではないとわかります。少しずつでもいいから一歩一歩学習を進めていく大切さも少しは分かった気がします。言葉の壁がある分、勉強を教えるのは大変でしたが、それでもやればできるし、子供たちも聞いてくれるとわかりました。勉強に関しては継続的に支援することが重要だとわかったし、現地に足りないものは何なのかこの目で確かめることができ、大学で途上国支援について学ぶのに大きなヒントを与えてもらいました。異国の地で生活する際の言葉の壁に対する恐怖心もずいぶんと小さくなったし、少し軽い気持ちもありながら踏み出した今回の一歩が予想以上に大きくて、今の具体的な目標である1年留学や想像もつかないその先のことに関してももっと挑戦していきたいと思えたし、挑戦すべきだと改めて感じました。せっかくこの便利な環境にいるのだから、私も彼らの笑顔と一途なまなざしにまけないくらいに一生懸命に学んで私にできることを探し、得られる知識を自分のものにして、大好きな彼らのようなまっすぐな笑顔をもっと輝かせられるように全力で成長していきます。
言葉では言い表せないほどの素晴らしい時間だったから。
もし多少軽い気持ちで参加したとしても必ず大きな何かを得て帰ってくると断言できます。あの人々の暖かさに触れ合う幸せを感じてほしいです!