カンボジア 教育ボランティアへの海外ボランティア
貧困、最多埋蔵量の地雷…。私達は非力だ。でも笑顔でカンボジアの子ども達に一生懸命接していると、僕ら以上の笑顔を返してくれた。便利だけれど殺伐とした日本にいても忘れず、生命を燃やしていこう。
一生の思い出
私は、大学院生時代に旅行会社のプログラムに参加し、カンボジアを訪れた。その際、目にしたカンボジアの子どもたちの瞳の輝きと生活の貧しさをいまだに覚えている。そのプログラムでは、日本のODAで建設された学校を目にしたが、中には入れず、子ども達とも触れ合えず大変残念だった。それに対して、今回参加するプログラムには、現地の人と同じような生活をし、子ども達と勉強や遊びを通じて触れ合い、お互いに成長できる機会がある。その機会を十分に活用し、肌で実感したことを帰国後は、日本の学校の子ども達に伝えていきたいと考え、参加を決めた。
「豊かさ」とは何だろうか。カンボジア滞在中はもちろん、帰国後カンボジアでの現地生活や子ども達、ホームステイ先の家族との触れ合いを振り返る中で、私は自分に問いかけ続けている。
カンボジアは、軍事政権下のミャンマーを除けば、ASEAN加盟国の中で経済的に最も貧しい国だ。滞在させて頂いたホームステイ先は、私達が日本語・英語教育ボランティアに行った現地トンレアップ村の中では比較的裕福な家庭だとは思うが、それでも日本での生活に比べれば、不便極まりない生活だった。トイレとお風呂は別棟なので懐中電灯なしでは濃い暗闇の中、歩くことができない。バッテリー切れで電気がつかず、懐中電灯だけを頼りに水浴びをすることもあった。今では良い思い出だが、初日だったか、着替え用のTシャツにヤモリが入っていて、それに気付かずTシャツを着ると、何とも言えない感触を味わった。水浴び用の水もトイレの水も、同じ浴槽のような水溜場に貯めてあり、そこから水を汲み、身体を流したり大小の便を流したりするのだが、その水が濁っていて汚い。水溜場の中を魚まで泳いでいる。虫も多く、日本から持ってきた蚊取り線香や虫よけスプレーは、ほとんど功を奏さなかった。「予想通りだけれど、こりゃすごい所に来たな。」 それが初日の感想だ。
日本では朝、起きるのに目覚まし時計を何個もセットしていた私だが、カンボジアでは必要なかった。「コケコッコ-!!!」 けたたましい鶏たちの鳴き声で早朝4時には自然と目が覚めてしまうからだ。朝、起きて屋外に出ると、そこはまるで動物園。犬、猫、鶏、豚、牛、さまざまな動物が家の周りを行きかう。たまに鶏が足を縛られ売られて行ったり、食事に変わったりするので、数が変動することがあるが…。暑くなる前、朝の早い時間帯に私達は洗濯をすることにした。日本では、脱ぎ捨てた服を洗濯機に放り込み、洗剤や柔軟剤を入れ、ボタンを1回押すだけで勝手に洗濯、脱水まで全自動でしてくれる。少し良い洗濯機ならば乾燥までしてくれるだろう。でも、カンボジアではそうはいかない。洗濯も一苦労。友だちと協力して大きな桶に井戸から水を汲み入れた後、服と洗剤を入れ、自分達の手でもみ洗いをし、すすぎ、脱水まですべて手動で自らこなす。「ここでは協力なしでは生きられない。」 そう感じた。
「なんてひどい所にいったの? 最低の旅だね。」 そう思われるかもしれない。でも実際は違う。今までで最高の旅だったのだ。トンレアップ村のステイ先の家とボランティア先であるトンレアップ村学校には、たくさんの笑顔があったからだ。それだけ? いや、それが最高だった。子ども達は純真無垢そのもので、本当にかわいらしく学ぼうとする意欲が旺盛。私は1年生の日本語と英語を黒板消しもない教室で教えたのだが、私が黒板に書いた単語を子どもたちがノートに何回か写し終えると、「すぎ~」、「すぎ~」と至る所からお呼びがかかり、丸つけ作業に追われた。1年生39人の子ども達の中には、私が持っていた「トンレアップ村・授業の手引き」などのマニュアルに興味を持つ子ども達がいた。彼女達は、授業で私が教えたことをノートに書き終えたらすぐにマニュアルの書写をする。マニュアルに載っている漢字が格好良く見えたのだろうか。それとも、誉められたかったのだろうか。彼女達はどんどん書き進み、ノートが文字でギッシリと埋まっていく。とにかくその学習意欲と努力には脱帽だ。日本から持って行った紙芝居も、現地の教師であるブン先生のサポートのおかげでみな静かに、ときに笑いながら聞いてくれた。ボランティア最終日、みんなで歌ったスピッツの「空も飛べるはず」、熱いものが込み上げてきて涙があふれそうになった。
しかしそれにしても、なぜこんなにカンボジアは経済的に貧しいのだろうか。その答えの一部は、一日観光で訪れた「地雷博物館」と「キリング・フィールド」にあった。そこには撤去された山のような地雷と本物のドクロがあった。1975年に政権を握ったポルポト政権によって、多くの人びとが田舎に送られ強制労働に従事し、働けなくなった人びとや知識人達250万人以上の人々が虐殺されたという。ポルポトの軍隊が隣国ベトナムの支援する軍隊に負けていく中で、埋蔵量世界一ともいわれる地雷が数多く埋められ、カンボジアの国土と国民は疲弊した。学校制度も日本とは違う。義務教育制度がなく、家の仕事を手伝うために学校に通えない子どもや半日しか通えない子ども達が大勢いる。私はホームステイ先の高校生、L君に時間を見つけては高校生活や将来の夢について聞いた。ユーモアたっぷりで女の子をからかってばかりの陽気なL君だが、その高校生活は実に多忙で物入りだ。高校が自宅から遠いので彼は、寺院に下宿している。朝早くに寺院の掃除をした後に登校し、7時から12時まで30分の休憩をはさみ勉強する。1時間休憩した後、また17時まで30分の休憩をはさんで勉強。その後は1時間につき1000リエルのお金を支払えば、19時ごろまで勉強を教えてもらえるという。また、月1回のテストを受験する際には、筆記用具以外に机の上に出しておかなければならないものがある。それは先生の懐に入るお金だ。それを出しておかなければ、どんなにテストが出来ようと単位を取ることはできない。だから、毎週週末に帰宅するのはほとんどお金をもらいに帰るためだと言っていた。そんな彼の将来の夢は観光ガイドになることだが、その道は険しい。大学に4年間在学するためにかかる費用が約12万円、そして観光ガイドの試験を一度受験するために支払わなければいけない費用がなんと2000ドル、日本円にして約20万円だそうだ。警察官の月収が約20ドルであることを考えると、ガイドになる夢を叶えるには莫大な費用とコネクションが必要になるということが容易に想像できる。
ポルポト時代の悲惨な過去があり、今も地雷の被害者が出ており、経済的にも苦しく、教育環境も整っているとは言い難く、教育の機会の平等が保障されていない状況なのに、なぜこんなにもカンボジアの人々は陽気で大らかで幸せそうなのだろうか。単に経済的に豊かな生活を味わったことがないから、つまり知らないからなのだろうか。それとも、あるものを工夫して、みんなで協力して笑いあって過ごすのが幸せ、言いかえれば心の豊かさの秘訣なのだろうか。
日本に帰国し、行きかう人を眺めた。スーパーマーケットで並ぶ人を眺めた。人数の少ない方に並んでいたが、レジを打っているのが研修生だとわかると、別のレジの方に移動する女性がいた。日本は便利で快適で照明もまぶしいほど明るいが、みな表情があまりなく、何かに追われているように見えた。カンボジアから帰国した私の目には、なぜか母国が殺伐としているように映った。
「豊かさ」とは何だろうか。その答えを私は提示できない。その答え探しとあの笑顔の絶えない人々と再び出会うために、またカンボジアを訪れたい。
高校社会科教員として、カンボジアでの現地生活や人との素晴らしい出会い、子ども達の勉強の頑張りなどを授業の中で伝えていきたい。また個人的には、「物が少々なくても楽しく暮らせる。小さなことは気にしない。陽気に過ごさなければ人生、損。」というカンボジアの人達の生き方を見習いたいし、カンボジアでできあがった健康的な生活リズムをできるだけ保ちたい。
現地生活をしながら子どもたちに日本語・英語教育ボランティアができる今回のボランティア体験が私にとってかけがえのない体験となり、生きる糧となったからだ。そういった体験ができたのも現地駐在員の方や現地の先生のご協力のおかげだと思う。たとえば今回、私はそれまでカンボジアのトンレアップ村学校で実施したことのない紙芝居など新しい取り組みも授業内でしたいと申し出たが、こころよくサポートして下さった。また、私と共に参加した私の婚約者が最初、現地生活にあわず発熱したことがあったが、駐在員の方の対応は迅速かつ丁寧で適切だっ
現地には便利なものは何もない。でも自然も人も美しく優しく包み込んでくれる。一生懸命子どもや村の人々と接したら、彼らも僕らにこたえてくれる。かけがえのないひと時を!
会員様から頂いたメッセージは私達にとって何よりの励みになります!!
私の婚約者が最初現地生活に適合できずに発熱するという突発的な事態に、迅速・丁寧・親切・適格に対応して下さった駐在員のりょうこさんに一番、感謝と応援のメッセージを伝えたいです。りょうこさんとステイ先の方や仲間の気遣いのおかげで、彼女も早く治り、ボランティア活動に復帰できたのだと思います。「おかゆとか食べられるものがあればまだ…」と昼ごろ、りょうこさんに申し上げたその晩に、婚約者のためだけ用のおかゆが夕食として出てきたときは驚きました。今はちょうど2か月の駐在期間も折り返し地点を少し過ぎたあたりで、疲れがでたり、現地の感覚に慣れすぎてしまったり、日本が恋しくなったりしすぎていなければと思います。りょうこさんたち駐在員の方々のサポートのおかげで私たちボランティアはおもいっきり活動することができますので、あと1カ月弱、乗り切ってください。
現地のステイ先のご家族にもお礼を申し上げたいです。毎日、カンボジアのレストラン以上に美味しい食事を提供して下さったり、一緒に遊んだり、現地生活のことをたくさん教えてくれたり、本当に温かい家族で「もっとここで暮らしたい」と思いました。
最後に、現地教師のブン先生にお礼を申し上げたいです。ブン先生は日本語がまだそれほど得意ではなかったので、英語と日本語を織り交ぜながらコミュニケーションしていましたが、子ども達に私が伝えたいことを事前にお願いしていた通り、クメール語で解説して下さりました。ブン先生のサポートなしでは、紙芝居など、新しい教材を導入して成功させることは出来なかったと思います。ブン先生とのティーム・ティーチング、楽しかったです。
学校長のサラ先生はじめみなさん、本当にありがとうございました。