カンボジアSDGs海外ボランティア研修への海外ボランティア
上記に書いた通りです(笑)
感謝でいっぱい
教師になること、多くの子供たちの夢を守ること、それが私の夢です。私は、教科書にはのっていない大切なことを教えることのできる教師になりたいと思っています。そのためには、まず自分の足でその地に行き、自分の目で現実を見て、人と肌で触れ合う経験が必要であると感じました。現実には、どんな言葉もふさわしくないのかもしれません。しかし、現実を言葉にすることをあきらめてはいけないと強く感じています。まずは、夢への第一歩として、今回のツアーをきっかけに私自身が変わることができたらいいなと思い、このプログラムに参加しました。
私のいままで信じてきた考えも、価値観も、描いていた夢もすべてが崩れ去った旅でした。崩れ去った今までの価値観の上に立って、今はすがすがしい青空の下、一からのスタートを切った気分です(笑)私は、カンボジアの歴史、人々の現在の暮らしをできる限り調べて、現地に向かいました。私はこの、カンボジアの土地でやるべきことがたくさんあると意気込んで、地に足を降ろしました。
しかし、実際には私にできることなんて何もありませんでした。ボランティアという言葉は、大変聞こえが良いものですが、私は自意識のかたまりと化しただけの人間で、ステータスをひけらかして楽しむお遊びをしていたのかもしれないと思いました。現地で、多くの貢献をしているカンボジア人や、日本人のボランティアの人々の活躍を目にして、私にできることは些細なことだから何もできないと感じたわけではありません。日本に生まれて、両親に守られて育った私は、両親を亡くした子供達や、満足に勉強することのできない子供達の心の痛みを、推し量ることはできても、決して分かることはできません。物乞いをする人々に囲まれても、地雷の被害を受けて足を無くした人が楽器を演奏していても、私は自分の財布のお金をすべて出すことさえできません。一生懸命、家の手伝いで物売りをしている子供達もいます。彼らのうちの一人からしか品物を買うことはできません。自分のしている行動は、彼らを目の前にして、いたむ自分の心を癒すためだけの行動に思えました。私は、優しさがなんなのか分からなくなっていました。明日の生活費を稼ぐために必死に働く彼らから目を背けてはいけないと、彼らの目を見るたびに、どうしても自分の恵まれた環境と比べてしまいます。頭ではかわいそうと思ってはいけないと自分に言い聞かせても、心の底ではかわいそうと感じて涙が出てしまいます。自分の無力さを痛感し、カンボジアにいることにさえ、罪悪感を覚えました。
そんな中、カンボジアの小学校で私は一人の女の子と出会いました。彼女との出会いは、私にカンボジアへ来たことの意味を感じさせてくれました。カンボジアの小学校に着くと、一斉に子供達は、日本人の手を取って、元気よく校庭に駆け出していきます。カンボジアの小学生たちの元気のよさに圧倒されていると、はしゃぐ子供達の輪から離れて、ぽつんと立っている女の子がいることに気が付きました。カンボジアでも、日本でも、活発な子もいれば、おとなしい性格の子もいるのだなと思い、私はその子と一緒に遊ぼうと思いました。その女の子は、日本語も英語も苦手なようで、日本人にもあまり慣れていない様子でした。それでも、私は精一杯の笑顔でその子の手を取って、紙風船や竹とんぼ、縄跳びや折り紙をして遊びました。彼女は、緊張しているようで、大きな瞳で私をじっと見つめて、笑顔をみせてくれません。私は、彼女が楽しめてないのではないかと思いとても不安が募っていきました。そんな中、交流の時間はあっという間に過ぎていき、お別れの時が来ました。バスに乗り込もうとしていた時、突然、その女の子が私の目の前に現れて、ぎゅっと抱きしめてくれました。その子の細い腕に包まれて、彼女の満面の笑みを初めて見た瞬間は、今まで過ごしてきた、どの一分一秒よりも惜しいものでした。もう二度と会うことはなくても、彼女のことは一生忘れません。彼女は私に大切なことを気づかせてくれたからです。
私は、ずっとこの活動中に私にできることはなにか考え続けてきました。しかし、私にできることなんて何もないのだと分かった時、私には、やりたいことが山ほどあることに気がつきました。やりたいと思ったら、できるようになるまでやり続ける。そうすることで、私にできることを増やしていくべきなのだと思いました。人の弱さや無力さ、はかなさを目の前にして、それを受け止める強さをもった人は、やりたいことを実現させることができます。誰かのために生きたいと思う「優しさ」は、人が弱いからこそ生まれ、人が強いからこそ、現実になるのだと思いました。その実現のためには、一分一秒がどれほど惜しいものなのか、わずかな時間でも人との出会いがどれほど私に大切であるかを痛感しました。日本に帰国しても、空を見上げれば、今もカンボジアに心はつながっているように感じます。カンボジアで、たくさんの笑顔とたくさんの「ありがとう」をもらったけれど、それは私が残してきたものの対価としてはあまりにも大きいものでした。「どういたしまして」よりも、「こちらこそ、ありがとう」
できるだけ、多くの人に私の言葉で、カンボジアのことを伝えていきたいと思います。言葉を紡げば、紡ぐほど、手でくみとった現実が指の間からこぼれていってしまうのではないかという不安はあります。それでも、私がカンボジアで学んだことは、やりたいことを続けて、できるまでやるということです。わたしには、伝えたいと思う強い思いがあります。自分を信じていつか、伝わる日が来ればいいなと思っています。
たくさんの大切なことを学んだから
ちゃんとした目的がなくても、一人の参加であっても、行ってみて後悔することは絶対にないと思います。日本人やカンボジア人のお友達ができてたくさんのことを学ぶことができます。
会員様から頂いたメッセージは私達にとって何よりの励みになります!!
夢をもって頑張る人は、たくさんの人に夢を与えることができる人であると思います。これからも自分を信じて頑張ってください!!!