バリ島 スタディツアーへの海外ボランティア
現地で求められるものは何か、現地の人たちと協力してつくりあげていけるものは何かを考えるきっかけを与えてくれた。
視野が広がった
生まれたときからキリスト教会に通っていて、途上国のことなどについて漠然と考えていましたが、この春、高校の有志プロジェクトで半年以上前から事前学習を重ね、スタディプログラムでカンボジアに行く機会をもつことができました。1週間でしたが、仲間や先生方とたくさんのことを考えることができ、現地の学生やワーカーとも交流し、それをきっかけに、明確でなかった理工学部進学の意義がはっきりしてきました。学ぼうとすれば学べる環境にいる自分は、大学でしっかり勉強して、いつか何も言わなくてもこの手一つで途上国に貢献できる適正技術を身につけたいと思うようになりました。
スタディプログラム以降は、講演会に積極的に行ったり、NGOなどについて調べてみたり、東北にも行きました。ただ、途上国や被災地は、自分達の成長や発見のためにあるのではなく、途上国を「消費」してしまうようであってはいけないと強く思っていますが、同時に諸問題に対してすぐに結論を出して思考を停止してしまうのもよくないと思っています。また、こういうボランティアやスタディプログラムは行くほど自分の非力を感じます。このボランティアを通して、結果的には自分ひとりでは少しの力にもなれないどころかたくさんのことを気づかせてもらう側になってしまうかもしれませんが、お互いがよいものを一緒につくりあげていくための方法を模索しつつ、将来への覚悟を固める機会にさせて頂きたいと思っております。
はじめに、このプログラムに携わっている方々に感謝いたします。
このプログラムはまだはじまったばかりで、自分達はモニターという立場ということもあり、何をしたらよいか、何が求められているかが把握できないところも多くありました。実際、孤児院の人たちの多くは、親がいないわけでも物資がそこまで不足しているわけでもないようでした。ただ、彼らが親元を離れて生活せざるを得ず、衛生面・食生活面でも改善点が多くあることも事実です。休みになり親のところへ一度帰れるはずだった耳の不自由な子が、帰れないことになり泣いていたのが印象的でした。僕達がしたことといえば、ごみを燃やす穴堀り、日本語を教える、など以外は、朝一緒に起きて落ち葉ひろいをしたり、料理をしたり、皿洗いをしたり、セレモニー(ヒンドゥー教の行事)の準備を手伝ったり、スポーツをしたり絵を描いたりと、生活を一緒にしただけで、はじめのうちはこれでいいのか不安もありました。でも、泣いていた子を見て、一緒に生活をするというだけでも、何かしら彼らのためになっているのではないかなと思えるようになりました。他にも、英語が少し話せる子の話を聞いていて、一番強く感じることは、「語学ができると彼らの就職幅や可能性はかなり広がる」ということで、自分達日本人が生活を共にしながら日本語を教えてあげたり日本の文化を教えてあげたりすることは、十分に意味のあることだとも気づきました。
また、学校の外にコートがかいてあって、朝礼の前にバドミントンをしているほど、バドミントンが普及していることに驚き、子供達とのスポーツや絵、音楽などでの交流を通して打ち解けられたことがうれしかったです。実際、言葉のあまり通じないなかでも、こういうことを通してコミュニケーションができたことはとても助かりました。
今回も、まずは自分達が生活に慣れるので一杯で、「消費」してしまっただけでないか心配な面もありますが、これは通過点であることを忘れずに、次のステップに生かしていきたいです。
ごみの問題(分別せずに全て燃やしてしまうこと)、衛生(手洗い、食材の管理・・・)、食生活(栄養の偏った食事、栄養の知識の欠如)などは簡単に変えていける問題ではありませんが、今回知ったことなどを指針に、今後勉強や見聞をひろげていき、いつか大きい問題に取り組めるような人材になりたいと思います。そして、引き続き、表面上の問題などのみに目を向けず、何が必要かしっかり考えていきたいです。
他の地域も見て、何が違うか、共通項はなにかをより明確にしたいからです。
現地でミーティングをメンバーでやれるといいなと思います。